2025年度フォーカス・イシュー
デザインの自由と解放
未来になるのは、残ったものだけ──Ginza Sony Parkに学ぶ「未来の当たり前」をつくるデザイン
2026.9.10
「私たちがいま当たり前のように触れているものも、過去の誰かのアイデアが、誰かの努力によって受け継がれた成果かもしれない」。2025年度グッドデザイン賞フォーカス・イシュー・ディレクターの建築家・永山祐子は、「フォーカス・イシュー2025」における提言「『未来の当たり前』のために挑戦し続ける」の中でそう記した。長く続いてきた活動は、どこかで同じ壁に突き当たる。始めた人の熱量で走ってきたものを、その人が退いたあと、誰がどう引き継ぐのか──その壁を越えたものだけが、やがて誰にとっても当たり前の存在になると言えるかもしれない。
2026年3月、東京ミッドタウン・デザインハブで開催された「フォーカス・イシュー2025 発行記念イベント『デザインの自由と解放』」。セッション4では、この提言を軸に議論が交わされた。永山に加えて登壇したのは、「Ginza Sony Park Project(銀座ソニーパークプロジェクト)」を立ち上げ時から率いてきた、ソニー企業株式会社代表の永野大輔。モデレーターは、株式会社Featured Projects共同代表の後藤あゆみが務めた。
芽吹いたものをいかに存続させ、「未来の当たり前」にしていくのか。銀座の一等地で13年間にわたり続いた「Ginza Sony Park Project」の実践から、そのヒントを探る。
なぜ銀座の一等地で「公園」だったのか。約1年の間、設計をしなかった理由
後藤 2025年度のグッドデザイン賞では、Ginza Sony Park Projectが金賞に、DLT木造仮設住宅が大賞に選ばれました。どちらも、長く続けられてきた取り組みの積み重ねが形になったものです。新しいアイデアそのものよりも、それをどう続け、根づかせたかが評価されたといえるかもしれません。永野さんには、まさにその実体験を伺えたらと思っています。
まず、プロジェクトが始まったきっかけから伺います。ハイブランドの旗艦店や百貨店が軒を連ねる銀座で、なぜ「公園」だったのでしょうか。
永野 もともと、公園をつくろうというプロジェクトではなかったんです。1966年に建ったソニービルを、どう建て替えるか。そこが発端でした。
建て替えの検討が始まったのは2013年ですが、そこから約1年の間、私たちは「設計」を一切していません。銀座とはどういう街で、数寄屋橋交差点の一角はソニーにとって、人々にとって、銀座にとってどういう意味を持つのか。そうした問いを徹底的にリサーチすることに時間を費やしました。
その結果見えてきたのは、「銀座に足りないものは何か」に対する答えの輪郭です。ハイブランドもデパートもレストランもたくさんある。だけど、気軽に休憩する場所や待ち合わせする場所が、極めて少ないことでした。

永野 そのうえで、なぜ公園なのか。前提として、僕は街には「振れ幅」が必要だと思っているんです。新しい店も古い店もあって、大通りも小道もある。そういう幅があるほうが、街にリズムが生まれ、街歩きも楽しいですし、街としては健全だと感じます。ところがいまの銀座は一方に偏ってしまっていて、遊び心や面白さが足りないなと感じていました。
だから必要なのは、その偏った高級なイメージの対極にあるものでした。肩の力を抜ける、敷居のない、誰でも居ていい、だけど銀座としての格は壊し過ぎない場所とは何か。そう考えて「公園」に行き着いたわけです。
後藤 ソニービルの地上部分を解体して、地上に建物のない平らな状態にしたとき、街の方々の反応はどうだったのでしょうか。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/29984永野 2018年、解体途中のソニービルを、地上に建物のない公園として街に開きました。その結果、世間から最初に声が上がったのは「ソニーが銀座に公園をつくった」ではなく「エルメスが綺麗に見える」でした(笑)。隣に建つメゾンエルメスは、イタリアの建築家レンゾ・ピアノが設計した、厚いガラスのブロックを一面に積み上げた建物です。それが、これまではソニービルに隠れてあまり見えませんでした。自分たちの土地を街に開いて、注目されたのは隣の建物だったわけです。それでも、その反応は想定内でした。だってそれは、僕らが意図した「街の風景」を変えたということですから。
もうひとつ言われたのが、「こんなものは公園じゃない」。広い敷地に、芝生があって、木が生い茂っていて、ベンチがある。それが公園だという前提があるからです。ですが、実際にあの場所を訪れた人たちは、街歩きの合間に休憩したり、待ち合わせたり、飲み物を飲んだり、思い思いに過ごしていた。つまり、公園のように使っていたんです。
一定の広さがあり、緑があるから公園なのではなく、公園の重要な要素は“余白”であると考えていました。用途は決められておらず、利用する人が思い思いに過ごせるスペースがあることが大切で、そんな“余白”が公園をつくっているんじゃないか。僕らはそんな考えの下「都市のなかの公園を定義し直す」と言い続けてきました。はたして建物の解体途中を街に開いたフラットな場所を、人は公園として使うのか。2018年からの3年間は、それを確かめる実験でもあったんです。

建物をゼロにしたら、訪問者が増加。「余白」と「引力」が人を呼び込む
後藤 その実験の結果が、いまのソニーパークにつながっているわけですね。ソニービルの時代と比べて、建物のない公園にしてから、訪れる人はどう変わりましたか?
永野 ソニービルは、地上8階、地下4階の12フロアにソニーのショールーム、レストランや物販などのテナントが入っていましたので、来る人は目的を持って来られる方が大半でした。公園にしてからは、この場所はソニーのショールームビルではなく、アクティビティをメインにして、訪れるたびに空間が更新されていく「変わり続ける公園」を目指しました。そのため、催し目当ての人もいれば、用事もなくふらっと休憩や待ち合わせに来る人もいる。目的のある人でもない人でも、気軽に立ち寄れる場になり始めたんです。
興味深いのは、来場者数です。地上8階建てのビルを解体して、地上部分をゼロにしたわけですから、普通に考えれば人は減るはずですよね。ところが、閉じる前のソニービルが1日平均8000〜9000人の来場者だったのに対して、公園には1日1万人となった。つまり、来場者数はフロアの数では決まらない。それよりも、街に対してどれだけ開かれているかが大事なのではないかと考えました。
ただ、街に開いているだけではなく、人々が思い思いに過ごせる「余白」と来るたびに新しい発見や刺激を受ける「アクティビティ」、この両方がそろって、初めて「都市の公園」となり、多くの人が来てくれることが実証されました。
永山 建物のない公園だった3年間に得た手応えを、いまのGinza Sony Parkの設計に反映させた、ということですよね。
永野 そうですね。あの3年間がなかったら、いまのGinza Sony Parkはないです。ショールームやテナントがなくても、街に開き「余白」と「アクティビティ」を両立させることで人は来る、という手応えが得られた。来場者数はフロア数に比例しない、だから銀座の一等地でありながらも、周辺の建物の半分ほどの高さの低層で、且つ地下1階から地上2階までの3層を、ひとつながりの吹き抜け空間にして街に開く。そこまで大胆に踏み切れたのは、あの3年間の経験があったからです。
永山 銀座のど真ん中で、本来いちばん収益を生むはずの1階を、壁をつくらず柱だけで支える吹きさらしの空間にして街に開いてしまう勇気。あれは本当に衝撃的でした。だからこそ、どんな色にも染まるあの場所を、いろんなブランドが使いたがる。空間全体が、エルメスの広告でジャックされていたこともありますよね。

永野 テナントが入っていない余白があることで、世界中のクリエイターやブランドの方が「ここで何かやりたい」と思ってくれる。スケーターが街なかに滑れる場所を見つけるように、何もない場所だからこそ、つくり手の心を刺激できるんだと感じています。
このことは、アクティビティを自分たちで企画し運営するだけでなく、この場所を使ってみたいと思ってくれる人や会社の方のアイデアに委ねることで、アクティビティの幅が広がるだけでなく、スペースをお貸し出しすることでビジネスにもなる。ショールームやテナントが入っていなくても「余白」があることで、事業として成立します。
ですが、誰にでもおすすめはできません(笑)。固定されたテナントからの賃料をベースにした事業モデルに比べるとリスクはありますので、覚悟は必要です。ただ、僕はその緊張感も楽しみながら経営しています。
変えないのは、指針ひとつだけ。13年の「粘り」と、伊勢神宮に学んだこと
後藤 本当にそうですね。こうしたやり方は、運営の仕方と覚悟がないとできない。だからこそ、永野さんのようなキーパーソンがいて、熱量を持ち続けられることが大事だと感じます。そこで次の議題、「未来のスタンダードをつくるための継続共創のデザイン」に移ります。永山さんは、長く続くプロジェクトに共通する姿勢や仕組みは何だと思いますか?

永山 今年の受賞作品のなかに、様々なヒントがあると思います。たとえば、大賞の「DLT木造仮設住宅」を手がけた坂茂さんは、30年以上前の阪神・淡路大震災の頃から、被災地の仮設住宅に取り組み続けてきました。海外の建築家とのネットワークを広げ、協力者がたくさんいる状況を築いてきたからこそ、ウクライナを含めた各地であれだけの活動ができている。ただ、そのエンジンになっているのは坂さん自身の熱量です。坂さんが活動できなくなったとき、そこで終わってしまうのか、それともネットワークのなかから新しい中心が育つのか。そこが次の課題になると思います。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/33760金賞の「源兵衛川」は、まさにその課題に直面している例です。静岡県三島市で、汚れきった川を市民の手で取り戻してきた35年の活動ですが、美しい川があることが当たり前になりすぎて、川を大切にする気持ちが地域のなかで薄れてきてしまった。街が良くなり、移住者も増えた一方で、その苦労を知る世代がいなくなっていく。その危機感から、改めてグッドデザイン賞で認めてもらうことで、次の世代へのメッセージにしたい──最終審査の場で、活動を続けてきた方がそうおっしゃっていました。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/33105後藤 グッドデザイン賞は、新しいアイデアを評価するだけでなく、長く続くプロジェクトを再評価する機能も持っている。それは手がける方にとって、続けていくための勇気やきっかけにつながるかもしれません。
永山 そうですね。提言にも書いたのですが、グッドデザイン賞は「新しい芽吹きを愛でる賞」とも言われます。でも、長く続けてきた活動が改めて認められ、それを次の世代に伝えていく。賞にはそういう役割もあるのだと気づかされました。
どんな取り組みも、最初は熱量が高いんです。でも、誰かが無理をしているような不自然なバランスがあると、続かなくなってしまう。だからこれからのデザインは、かたちや仕組みそのものだけでなく、誰がどう負担して回していくのか、次の世代にどう手渡すのかというところまで含めて考える必要があるんだと思います。
後藤 いままさに長期のプロジェクトに取り組まれている永野さんは、短期的な成果を求められるプレッシャーと、数十年後の「当たり前」をつくる長期的な視点を、どう両立させているのでしょうか。
永野 13年間なぜ続けてこられたかといえば、ひとことで言うと「粘り」ですね(笑)。この13年で、社内外で様々な環境の変化がありました。社内ではソニーグループ本社の社長が代わり、社外ではコロナ禍もありました。環境が変わると、求められるものも変わりますしかし、変わらないもの、変えてはいけないこともあります。プロジェクトのスタート時に、時代によって変わるものと、変わらないものについて、かなりの時間をかけて議論をしました。その中で、ソニービルをつくった、ソニーの創業者の盛田さん、建築家の芦原さんの「街に開かれた施設」という思想、そしてソニーという会社は「人がやらないことをやる」という精神は変えないものとして、貫き通してきました。
ただ、さっきの永山さんのお話の通りで、僕がソニーを去ったあとこの場所がどうなるかは、わかりません。僕の考えとしては、運営する人が変われば、場所のあり方も変わってしまうことは仕方がないと思っています。しかし、ひとつ願うとすれば「人がやらないことをやる」というソニーの精神が、この場所にあり続けることです。

永野 取り壊し前のソニービルは「変われないソニーの象徴」と言われていた時期がありました。ウォークマン®やプレイステーション®といったエポックメイキングとなった製品が生まれた時代には、それらの製品がショールームに展示され「ソニーブランドの発信基地」となっていた建物が、2000年代にエレクトロニクス事業が苦しくなると、そう言われるようになる。ソニーはエンターテインメントも金融も半導体もやっているのに、あの建物にはエレクトロニクスのショールームしかない。ブランドを発信するはずの場所が、ブランドを表現しきれず傷つける場所になってしまった。原因は、ハードとしての建物も、それを運営するシステムも、残念ながらどちらも“変われなかったこと”だと思っています。
だからソニーパークでは、先ほど話したように、時代によって変わるものと、変わらないものについて時間をかけて議論してきました。「人がやらないことをやる」というソニーの精神は時代が変わっても変えないものとする。一方で、建物と運営の仕組みは、時代とともに変わり続けられるようにする。建物は用途を決めた箱ではなく、スマートフォンやプレイステーションのようにプラットフォームとしてつくる。いまのソニーパークにテナントが一切入っていないのは、プラットフォームだけを用意して、その時々で面白い企画をインストールしていくためなんです。
そして運営の仕組みの方は、僕がいなくなっても継承できるチームをつくること。この「変わり続けるための余白と仕組み」のヒントのひとつになったのが、伊勢神宮なんです。
後藤 どうつながるのでしょうか?
永野 伊勢神宮では20年ごとに、社殿を造り替えて神座を遷す「式年遷宮」が行われますよね。「式年遷宮」を実現させている要素のひとつが、余白と運営の仕組みと思っています。余白というのは、隣に同じ広さの敷地が用意されていること。使っていない側で、次の社殿を建てられる。仕組みというのは、建物の組み立ての仕方が人から人へ受け継がれていることです。20年ごとに新しいチームがつくられ、そのたびに次の世代が現場で覚える。時代ごとに新しい技術も取り込みながらアップデートできる。余白と仕組みがあるから、1300年以上続いてきた。
ソニーパークが1300年も続くことはないと思いますが、50年続けることを考えたとき、この余白と仕組みの考え方がものすごく効いてきます。
未来は逆算ではなく、日常の隙間にある。──「まだない当たり前」を形にするために
後藤 最後に、お二人からまとめのメッセージをいただけますか。「未来の当たり前」をつくるために、まず何から始めてみればよいか。今日の話を踏まえて、一言ずつお願いします。
永山 グッドデザイン賞の審査をしていると、「こんなものが、実はこれまでなかったんだ」と驚くものに出会います。目の前に現れると、あって当然のように見えるけれど、言われてみればそんな取り組みはなかった。そして、その「あって当然のもの」を実現することが、意外と難しい。これまでの慣例に縛られてしまうからです。
ソニーパークの「余白」も、いまでこそ当たり前に思われているかもしれませんが、最初に現れたときは「一体何なの?」と世間はびっくりしたはずです。でも何年か経つと、街に馴染んで、当然のようにある。そういう例は結構たくさんあります。だから、当たり前にあってよさそうなのに、まだないものを見つけること。そして、それが本当に当たり前になるまで「続ける」こと。その両方がそろって初めて、「未来の当たり前」になるのだと思います。

永野 今日のテーマは「未来の当たり前」ですが、僕は「残ったものが未来」だと思っています。どんなにいいアイデアでも、残らなければ未来にはならない。だから、実現できること。それがまず大事で、夢物語では未来はつくれません。
何十年も先の理想の姿を先に描いて、そこから逆算していま何をすべきかを決める。バックキャスティングという手法がよく語られますが、僕はこのプロジェクトでは使っていません。怖かったんです。未来を想像するにも限界があり、どうしてもぼやけます。ぼやけた未来から逆算すれば、今やるべきこともぼやけてしまうからです。
それよりも、日常のなかで感じるちょっとした違和感や気づきのほうにこそ、未来への可能性があると思っています。ソニーパークも、ウォークマンのような従来の既成概念を変えた製品も、そうやって生まれてきました。当たり前を定義し直して、賛否を巻き起こしながら、それでも残ったものが未来への一歩になる。
もっとも、未来への一歩となるものは少なく、大半は埋もれていきます。だからこそ、日常のなかで見つけたものを、粘って粘って形にする。「未来の当たり前」になるかどうかは、そうやって決まるのだと思います。
栗村 智弘
ライター
愛知県生まれ、職能は取材・執筆・編集およびプロジェクトマネジメント。一般社団法人デサイロ「Unknown Unknown」マネージャー。ほか複数の事業会社・スタートアップ・Webメディアで活動中。早稲田大学文学部卒。競技歴は野球、バスケットボール、空手、陸上、ハンドボール。猫とうさぎと神奈川県在住。
小山 和之
エディター、ライター
今井 駿介
フォトグラファー
1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。
