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グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

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この記事のフォーカス・イシュー

「わたしたち」のウェルビーイングをつくるデザイン

「わたしたち」という感覚は、いかにして拡張される?──山古志住民会議・竹内春華×ドミニク・チェン

2023.02.02


新潟県の中央部に位置する、山古志地域(旧山古志村。2005年4月に長岡市に編入合併)。

たった40平方kmのこの地域には、豊かな自然や文化が根付く。世界的な錦鯉の産地、また文化庁の定める文化的景観の重要地域に選ばれた棚田地域としても名高く、“牛の角突き”という闘牛習俗は国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

他方、人口動態は厳しい状況だ。2000年代初頭には2,000人以上だった人口は、2022年現在は約800人まで減少。65歳以上の高齢者の割合は、2021年に55%を超えたという。

そうした窮状を打破すべく、2021年12月、山古志は新たな挑戦に踏み出す──地域づくり団体「山古志住民会議」が、電子住民票の意味合いを含むデジタルアート「Nishikigoi NFT」を発行した。「共感と仲間の証」であるこのNFT保有者は「デジタル村民」と呼ばれ、特定の所有者や管理者がいない組織形態である「DAO」(Decentralized Autonomous Organization:分散型自律組織)を構成。そのメンバー数は約1040名に達し(2023年1月現在)、実際の地域住民の数を上回る。

国や物理的制約を越えた共感者コミュニティを形成することにより、地域の存続を目指すこの取り組みに並々ならぬ関心を寄せたのが、情報学研究者のドミニク・チェンだ。

グッドデザイン賞の審査を通じて、デザインの新たな可能性を考え、提言する活動「フォーカス・イシュー」におけるディレクターを務めるドミニクは、探求テーマとして「「わたしたち」のウェルビーイングをつくるデザイン」を設定。個々人だけを対象とするのではなく、他者や周囲の環境との関係性と連関した人間像から、「より善い生き方」としてのウェルビーイングのかたちを捉え直そうとしている。その探求に際して、デジタル村民たちを巻き込み「わたしたち」の境界を拡張する山古志からヒントを得ようと考えた。

応じてくれたのは、山古志住民会議の代表・竹内春華。旧山古志村が「全村避難」となった2004年の新潟県中越地震以降、山古志の復興支援活動に携わり続け、Nishikigoi NFTの発行にも携わった人物だ。2022年度グッドデザイン賞のベスト100にも選ばれたこの山古志の取り組みは、「「わたしたち」のウェルビーイングをつくるデザイン」の実現に、いかなるヒントを与えてくれるのか?

棚田が雪化粧を始める目前の11月末、ドミニクは山古志をたずねた。

「デジタル村民」の現在──山古志では何が起きているのか?

ドミニク 僕がフォーカス・イシューで探求しているテーマは、「「わたしたち」のウェルビーイングをつくるデザイン」です。ウェルビーイングの研究は、21世紀に入り「物質的な豊かさやインフラが整った環境は手に入れたが、果たして人類は幸せになったと言えるのか?」という問いを背景に活性化しました。

それ自体はよいことだと思うのですが、個人主義的な考え方が根強いアメリカ発ということもあり、これまでの研究は個人の幸福追求に寄りがちで。強い自己の意志と責任のもとで実現していくアメリカ型のウェルビーイング理論をそのまま輸入しても、日本にはあまり馴染まないなと感じていたんです。

そんな中で、僕の中で育ってきた──つまり“発酵”してきたのが、「主語を『わたし』から『わたしたち』に変えるのが大事なのではないか?」という考えです。各々がそれぞれのウェルビーイングを追求するのではなく、関係性の中でウェルビーイングというものを考える。コミュニティや家族、友達や恋人といった関係性があるところで、関わっているステークホルダーが一緒に、共同のウェルビーイングを追求してゆくことが大事なのではないかと。

ただ、これは「みんなで同じものを目指そう」ということではありません。「『わたしたち』のウェルビーイング」は、ひとりひとりが互いに重なり合える領域を探し、その一部を構成し合いながら、数珠つなぎに複雑につながることで生まれると思っています。そして山古志はまさに、リアル空間とデジタル空間が複雑に混じり合いながら「わたしたち」という主語を作り上げているように見えて、ぜひともお話を伺ってみたいと思ったんです。

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情報学研究者 ドミニク・チェン

竹内 ありがとうございます。ご期待に添えるお話ができるか、あまり自信はないですが、話せることは何でもお話しますね。

ドミニク とんでもないです、よろしくお願いします。まずはNishikigoi NFTを購入した「デジタル住民」の方々について伺わせてください。いまDAOには何人くらい参加しているのでしょうか?

竹内 1,000人ちょっとです。昨年末のローンチから人数は増え続けていて、今年の夏に実際に住んでいる地域住民の人口を超えました。

ドミニク おお、もう地域住民の数を超えたのですね。デジタル村民の方々とは、どのようにコミュニケーションを取っているのでしょう?

竹内 コミュニティアプリ「Discord」上でのやり取りが中心です。ただ、デジタル村民のうち約140名の方々は、実際に山古志を訪れてくださいました。とりわけ近隣の新潟県内にお住まいの方は、けっこう頻繁に山古志に来てくださっていますね。

例えば、中越地震の発災日である10月23日は毎年、山古志住民で追悼式を行っているのですが、「今年は、山古志の仲間になってくれたデジタル村民のみなさんも同じように想いを馳せてほしい」とDiscordに投稿したんです。そうしたら、リアル空間での追悼式とハイブリッドで、デジタル上で集えるメタバース空間を作ることになりまして。釣り鐘や童地蔵といった山古志にある震災のシンボルを実際にスキャニングし、メタバース空間にどんどん移築していく作業のために、月に数回山古志を訪れてくれている方もいます。

ドミニク とても素敵ですね。メタバース空間は、どのように作っているのでしょうか?

竹内 メタバースプラットフォーム「cluster」上やソーシャルVRプラットフォーム「NeosVR」上で作っています。いま私たちがいる「やまこし復興交流館おらたる」もありますよ!

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clusterのキャプチャ画面

ドミニク おお、リアルですね。建物はもちろん、池や田んぼもしっかり再現されていて、とてもクオリティが高い。あ、これは凍った鯉ですか?

竹内 はい。もうすぐ冬だから冬支度しようと、雪を降らせる実験などをデジタル村民のみなさんがしてくださっています。

ドミニク 四季のあるメタバース空間なんですね、面白い。

竹内 それから流れている環境音も、実際に山古志で録音したものを使っているんです。静岡県から来てくださって、一日中かけて洞窟などの音を録ってくれた方もいます。

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山古志住民会議 代表 竹内春華

既に入り混じっている、地域住民とデジタル村民

ドミニク 環境音まで!こうしたメタバース空間作りのような取り組みは、竹内さんをはじめ、山古志住民会議の方々が計画してお願いしているわけではないんですよね?

竹内 まったくの無計画です。スキャン作業も、知らない間に山古志に来て進めてくださっていて、気づいたらもう帰られていた、なんてこともありますね。「お土産渡しそびれた!」と(笑)。アバター作り、スキャニング、環境音構築と、デジタル村民のみなさんが、それぞれの得意分野を自発的に担ってくれているんです。

ドミニク 自発的に作業してくださると。まさに、「分散型自律組織」であるDAOらしい光景ですね。

竹内 当初はデジタル村民の方々に対して何をお返しできるのかわからなかったのですが、いざ蓋を開けてみると、「関わらせてもらうことがNFTを買ったメリット」だと言ってくださる方がけっこういまして。未だに「本当にそれだけでいいの?」という気持ちはあり、交通費をかけて山古志に来て、スキャンだけして帰っていく方に対して「何もできていない」という後ろめたさを感じることもあります。でも、それでもなお通ってくださるということは、山古志を何かしら自分ごととして捉えて、続けてくださっているんだろうなとも思っていますね。

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「Nishikigoi NFT」のモチーフとなっている錦鯉は、山古志地域が発祥と言われる。「泳ぐ宝石」とも称される錦鯉は、今や新潟県において米と並ぶ重要な産業基盤となっており、取材に訪れた際にも所々で養鯉場を見かけた

ドミニク 自発的な作業によって喜んでもらい、達成感を得ていきいきとすることが、「わたしたち」というまとまりに少しずつ足を踏み入れていくきっかけとなっているのかもしれないですね。

最近、「関わりしろ」という言葉を聞きませんか?NPOやボランティアに参加し、ふだんの仕事とは違うかたちで、何かしら関与できること自体がインセンティブになっていると。山古志では意識せずとも、そうした関わりしろを媒介としたつながりが回り始めているように思えます。

竹内 ありがとうございます。関わりしろと言えば、デジタル村民の皆さんが保有しているNishikigoi NFTは投票権の意味合いも持っているんです。分散型投票システム「Snapshot」というツールを使って、NFTをガバナンストークンとして利用し、持っている量に応じて投票できる仕組みになっています。

例えば、山古志を存続させるためのプランを公募して、投票によって実際に動かすプロジェクトを決めたことがあります。先程お話ししたメタバース空間作りも、そのプランの一つです。

さらに「山古志の地域存続プランを決めるのに地域住民が投票できないのはおかしい」という議論も湧き上がり、山古志住民にNFTを無償配布することを投票にかけた結果、全員賛同してくださって。まだ30名に達しないくらいなのですが、いま実際に山古志住民の方々にNishikigoi NFTを付与しているんです。一人ひとり、スマホの操作を一緒にやりながら、「これ通帳と同じくらい大事だから、金庫に入れてなくさないようにしておいてね」って。できるだけ早めに、より多くのリアル住民の方にお渡ししたいですね。

ドミニク それはとてもいい動きですね。デジタル村民と地域住民の方々が入り混じって、意思決定を行うケースが現れはじめているのですね。

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竹内 はい。特に先程お話した10月23日の追悼式を行ってからは、一段フェーズが変わったような感覚があります。地域住民の方々が、「デジタル村民の方も、これまで山古志に関わって下さった方も、一緒に集まって同じ時を過ごそう」と言ってくださったんです。

もともとは「最初はデジタル村民と地域住民がパラレルに動くことになるだろう」と思っていたので、既にこんなに入り混じっているのは想定していなかったのですが、本当に嬉しかったです。デジタル村民の方も、山古志に来たら宿泊施設や飲食店、直売所で地域住民の方と直に接点を持って、交流し合うことも見られるようになってきました。

もちろん、お父さんお母さんたちだけでなく、住民のみなさんからは「デジタル村民って何?」「NFTって何?」という反応をいただくこともあります。でも、中越地震以降のこの18年間に重ねてきたさまざまなトライアンドエラーと一緒で、また何か新しいチャレンジをするのだと理解してくださって、たいていは「がんばれや」と声をかけてくれる。だからこそこの挑戦が実現したし、デジタル村民と地域住民の交流が増えているのだと思っています。

“よそ者”だけど生まれた「わたしたち」という感覚

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ドミニク 素晴らしいですね。ここまで山古志のデジタル住民の方々についてお話しいただきましたが、竹内さんがこうした活動に取り組むようになった経緯もお伺いしたいです。そもそも山古志には、いつ頃から関わるようになったのでしょうか?

竹内 2004年の中越地震がきっかけです。当時はたまたま仕事に就いていない時期だったのですが、山古志災害ボランティアセンターの職員の仕事をハローワークで見つけて、応募しました。「全員で山古志に帰る」というミッションだけあって、そのためには何でもするという仕事で。「ミッションである旗印が、『帰ろう山古志へ』ってすごいな」と思って働くことを決め、できることから少しずつ取り組むようになったんです。

ドミニク 偶然の出会いのような側面もあったのですね。

竹内 まったくの偶然ですね。私は山古志ではなく新潟県魚沼市の出身で、いわば“よそ者”です。それでも関わりはじめてから16年間、山古志の住民や他の応援者の方々と一緒に色々なトライアンドエラーを繰り返しながら、少しずつ「わたしたち」という感覚を作り上げてきた。時には追いかけたり、並走したり、新たなアイデアを提案したり。

そうして山古志の中にどっぷり入ってゆき、山古志のかっこいい人たちからいろいろと教わる中で、育てていただいた感覚があるんです。いまの私の8〜9割は、山古志での経験で構成されているんじゃないかと思っています。Nishikigoi NFTは、そうした私を育ててくれた土壌をより広げていくための、「ようこそ、わたしたちの仲間へ」という招待状だと捉えていますね。

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ほとんど平地のない山古志では、長年かけて作り上げられた、幾層にも連なる棚田も有名。冬には一面雪に覆われ、より一層美しい景観をなすという

ドミニク 中越地震以来、約16年間のみなさんの関わりの中で「わたしたち」という感覚が形成されてきたのですね。それ抜きには、ここまで伺ったNishikigoi NFTやデジタル住民の話はできないのだろうなと思いました。

それから「かっこいい」という表現は興味深いですし、とても大事な言葉なように感じます。山古志の人々のかっこよさって、どのようなものなのでしょう?

竹内 何と言えばいいのか……私も未だに言葉に悩みますが、その辺で畑などの農作業をしているお父さんお母さんが、さらっと「ここで死んでいくために生きている」と言うんですよ。「超かっけぇ!」って思いますよね。山古志の方々と初めて関わったのは、中越地震の後、ボランティアセンター職員として仮設住宅で働いた時なのですが、「山古志で死ぬために帰るんだ」と言って仮設住宅を出ていく方がほとんどで。しかも一人だけじゃなく、老いも若きもみなさん同じようなことを言うんです。「こんなにかっこいい人たちがいるんだな」と衝撃を受けました。

ドミニク それはすごいですね。少なくとも僕は、いま住んでいる東京で死ぬんだとは、なかなか思えません。

竹内 もちろん、山古志に帰ってこない選択をした方や、帰ってきた後にそれぞれのご家庭の事情で転居した方もいらっしゃいます。それでも、できるだけ近くに住んで毎日通いで農業に来る方なんかもいて、みなさん何かしらのかたちで山古志に関わろうとされている。ここに住んでいようが、下山しようが、山古志は自分の一部なのだなという印象を受けました。

そういうスタンスを、いいなと思ってきたんです。私みたいなよそ者をはじめ、いろいろな形で山古志に関わってくださる人誰もが、「私も山古志の一員です」と言えるようになったらいいなと考えています。

ドミニク 山古志という土地が自分たちの一部になってる人たちを「かっこいい」と感じると。山古志に限らず、さまざまなコミュニティにおいて「わたしたち」という感覚が生まれるためには、人間と人間はもちろん、人間と土地の結びつきも、とても大事なポイントなのだと感じました。

竹内 そうですね。人々が作り上げた土地や景観、例えば田んぼ一枚維持するのにも、冬の厳しい暮らしも、想像を絶する大変さがあり、そうして作られた地形や景観によって、人も育てられていく。現実として目に見えている空間というのは、山古志の先人たちのつながりの賜物なのだと思いますね。

ドミニク 風景を作りながら、その風景の中で生きていると。それに関連して少し突っ込んだことを伺いたいのですが、山古志で16年間過ごしてきて、いま竹内さんは山古志に対してどのような感覚を持っていますか?

竹内 まだ「ここで死にたい」とまでは思えていないのですが、「育てていただいた恩返しができた」と満足できるまでは下山したくない、とは思いますね。その恩返しのための手段が、山古志を存続させるということなのかなと。自己満足かもしれませんが、少なくとも「よし、残せるぞ」という手応えを得られるまでは、山古志を離れたくないですね。

ドミニク これまでの16年間の中で、どこか明確に、自然と「わたしたち」と言えるようになった、もしくは言えていると気づいたタイミングはありましたか?

竹内 もしかしたら、山古志住民会議の代表にさせていただいたタイミング、そしてNishikigoi NFTを発行したタイミングかもしれません。それまでは山古志住民会議の事務局としてのプロジェクト、もしくは「復興支援員」制度の中の中間人材として取り組むプロジェクトとして捉えていた面が強く、「このプロジェクトは」という主語で語っていた気がします。それが約1年前、住民の方々による任意団体である山古志住民会議の代表を任せていただき、NFT発行に向けて動くようになってから、主語が「山古志」に変わった気がするんです。

ドミニク なるほど。制度に支えられて関わるフェーズから、自力で関わるフェーズに変わり、「わたしたち」という感覚を持つようになったと。この文脈を知らずに、Nishikigoi NFTは語れないですね。

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山古志には“牛の角突き”と呼ばれる闘牛文化もあり、数百年、あるいは千年の歴史があると伝えられている。1978年には、国の重要無形民俗文化財「牛の角突きの習俗」として認定

「Being」と「Doing」の両輪で残してゆく

ドミニク 最後に、今後の展望についても伺いたいです。例えばガバナンスという観点で言えば、コミュニティなのでもちろん、望ましくないコンフリクトも起こりうると思うんです。いま課題に感じていることを教えていただけますか?

竹内 たくさんあります。先程お話しした投票に関しても、人数的にどうしても、デジタル村民の影響力が地域住民よりも強くなりがちです。また現状はデジタル村民の方々が地域住民にリスペクトを持って、その時間の流れ方やニュアンスが蔑ろにされないよう、むしろ“自警団”的にパトロールしてくださっています。とはいえ今後、悪意のある買い占めが起こる可能性もゼロではありません。“地域の乗っ取り”が起きないよう、山古志DAOの憲法のようなものを制定しなければいけないのではないかという意見が、デジタル村民からも地域住民からも出てきていますね。

ドミニク リアル山古志のニュアンスや時間の流れ方に沿って、DAO側も歩調を合わせるというのはとても大事な視点ですね。Discordなどで盛り上がると一気に動きが加速しがちですが、現実世界ではそういう風に時間が流れていない。リアルコミュニティとデジタルコミュニティがパラレルでありながら混じり合う構造のコミュニティは、これまであまりなかったと思うので、試行錯誤が必要なところですね。

竹内 最近はデジタル村民や、このプロジェクトにかかわるメンバーから「『Being』と『Doing』でそれぞれ山古志を存続させよう」という話が出ています。ここで暮らし続けながら山古志を成り立たせていく「Being」と、存続のためのアクションを仕掛けていく「Doing」の両輪で、山古志を存続させようと。

ただ本質的には、地域住民の方々は「デジタル村民だからこうしてほしい」という特別な期待はしていないように感じています。むしろ、その人の人生の一瞬でも山古志に携わってもらえれば本望、というのが本音かなと。デジタル村民であろうが、他のかたちで山古志に関わってくださる方であろうが、地域住民の方は同じスタンスで接しているように見えますね。

ドミニク なるほど。竹内さん自身は、デジタル村民に期待していることはありますか?

竹内 私はさっきお話ししたような、かっこいいお父さんお母さんが持つ精神性や技術、ノウハウを残していきたい、という気持ちが強いです。山古志スピリットを永遠に残したいから、そのための方法を一緒に考え、作っていっていけたら嬉しいなと思っています。

ドミニク 素敵ですね。アーカイブを作っていくためにはデジタルツールは適していますが、精神性や思想を次世代につなげていくという目的のためにはまだまだ研究が必要そうです。僕はテクノロジーを使って研究をしていますが、「テクノロジーを主語にしてはいけない」ということをずっと考えてきました。

山古志の取り組みについても、DAOやNFTといった言葉が注目を浴びやすいけれど、それは目的じゃなくて方法に過ぎないと学ばせていただきました。すぐにバズワード化してしまう言説状況の中で消費されていってしまわないように、その背景にある18年間の取り組みの蓄積、それを通じて竹内さんが積み重ねてきた想いを踏まえたうえでNFTやDAOを捉えていくことが重要ですね。

これからも「わたしたち」という主語でウェルビーイング、より善い生き方を考えていく上で、大事な示唆をたくさんいただきました。今日は本当にありがとうございました。

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山古志には“牛の角突き”と呼ばれる闘牛文化もあり、数百年、あるいは千年の歴史があると伝えられている。1978年には、国の重要無形民俗文化財「牛の角突きの習俗」として認定


ドミニク・チェン

情報学研究者|早稲田大学 文学学術院 教授

1981年生まれ。博士(学際情報学)。NTT InterCommunication Cente\[ICC\]研究員, 株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て、現職。テクノロジーと人間、自然存在の関係性、デジタル・ウェルビーイングを研究している。著書に『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)『未来をつくる言葉―わかりあえなさをつなぐために』(新潮社)など多数。監訳書に『ウェルビーイングの設計論―人がよりよく生きるための情報技術』、監修書に『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』(共にBNN新社)など。


小池 真幸

ライター/エディター


今井 駿介

フォトグラファー