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グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

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2025年度フォーカス・イシュー

デザインの自由と解放

デザインに、いかに“情緒”を取り戻すか──ヤマハに学ぶ「うまみのあるデザイン」

2026.9.3

データ、トレンド、コスト……デザインを「正解」らしく見せる要素はいくつもある。だが、それらを満たしさえすれば、本当によいデザインをしたと言えるのだろうか。その過程で、つくり手の内側にあるはずの衝動や美意識、すなわち「情緒」は、どこかに置き去りにされてはいないだろうか。

2026年3月、東京ミッドタウン・デザインハブで開催された「フォーカス・イシュー2025 発行記念イベント『デザインの自由と解放』」。そのセッション2では、2025年度グッドデザイン賞審査副委員長であり、フォーカス・イシュー・ディレクターを務めた倉本仁の提言「デザインに『情緒』を取り戻す」を元にしたディスカッションが交わされた。

登壇したのは倉本に加え、ヤマハ株式会社参与・デザイン研究所所長の川田学。モデレーターは、Podcast番組「デザインの手前」を配信する編集者の原田優輝と山田泰巨が務め、本セッションは同番組の公開収録を兼ねて実施された。

手がかりとなったのは、「情緒の塊」とも言うべき道具──楽器だ。噛むほどに味わいが増す「うまみのあるデザイン」とは何か。言葉にできないものを、組織はどう扱えばいいのか。楽器づくりの現場を入り口に、議論は「情緒」の核心へと進んでいった。


外的要因を言い訳に、デザインが決められていないか

原田 今日のセッションは、倉本さんの提言「デザインに『情緒』を取り戻す」を下敷きに進めていきます。情緒というと、まさにヤマハさんがつくられている楽器は情緒的な道具であり、趣味性の高いものでもあります。楽器づくりの現場の視点も交えながら掘り下げていければと思いますが、まずは倉本さんがこの提言に込めた問題意識からお聞かせください。

倉本 フォーカス・イシューは、我々がグッドデザイン賞の応募作を審査していく中で見えてくる世相をすくい上げ、提示し、みんなで考えようという取り組みです。いま起こっていること、世の中に求められていることが見えてくる中に、思考や思想の潮流があると考えています。

そんな中で、今回は大上段に構え、「デザインに情緒を」という言葉を掲げました。さも最近のデザインに情緒がないかのように言ってしまっていますが、ないと指摘したいわけではありません。

ただ、デザインの意思決定のプロセスの中で、デザイナーや企画者、経営者が能動的に発動していくもの以外に、外的要因を言い訳にして物事が決められていくことが結構あると思うんです。「世の中はこういうものだ、いまはこれが求められていて、マーケティング的にはこうで」と言っていくと、大体の形は決まってくる。この提言は、「それでいいのか」と問いかけるものです。

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倉本仁|プロダクトデザイナー、JIN KURAMOTO STUDIO代表取締役、2025年度グッドデザイン賞審査副委員長/フォーカス・イシュー・ディレクター

原田 提言の中には「うまみのあるデザイン」という言葉もありました。これは、噛めば噛むほどうまみが出てくるような、ということでしょうか。

倉本 この辺りの表現はなかなか難しいのですが、うまみとは「ものの趣の深み」とでも言うのでしょうか。デザインには造形表現も機能表現もあり、情感表現やコミュニケーションもある。いろいろなものが交わる中での深み、ものの在りようを、「情緒」や「趣」という言い方で捉えたいと思っているんです。

川田 「うまみ」はすごくいい表現だと思いました。味が染み出てくるためには、染み込む時間も必要です。手っ取り早く「正解」に近づいていくアプローチとは、対極にあるものかもしれません。

倉本 考え方や、リサーチの踏み込み具合ですよね。グッドデザイン賞の応募作を見ていると、「いまの世の中的にはこういうアプローチだよね。サステナビリティや材料の選び方も含めて、まあこうなるよな」というものが多いのですが、稀にに「なんでこうなったんだろう」と思わされるような、感覚的にどこか引っかかるものがあるんです。そしてそれらは、社会の流れに抗っているものが多い。

しかも、その流れをわかった上で、「でも、こういうやり方もアリなんじゃないか」と新しい問いを持っている。責任と覚悟のこもった提案に現れることが多く、それこそがクリエーションだと思うんです。思想の段階から周りに流されていない。流される部分と、自分がちゃんと意見を出さなければいけない部分のバランスがいい、という感じですね。

何を残して、何を変えるか

原田 そうした「うまみ」を考える手がかりとして、今日はヤマハの川田さんにお越しいただきました。倉本さんは、ヤマハのデザインにどんな印象をお持ちですか。

倉本 まさに「情緒の塊」ですね。楽器って、そもそも不思議な形をしているじゃないですか。でも美しくて、なんなら飾って置いてみたくなるレベルのものです。ヤマハさんは特に、もともと楽器が持っていた文脈を、近代的なデザインの解釈で、新しい商品開発の中で新しいユーザビリティと機能に落とし込んでいる。サイレントシリーズもそうですが、そのバランスがすごいなと思います。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/9d8a3f1e-803d-11ed-862b-0242ac130002

川田 ありがとうございます。ヤマハは1887年の創業で、来年で140年になる企業です。祖業である楽器はまさにクラフトの世界のもので、工芸品を工業化することをずっと突き詰めてきた140年だったと思います。

その中で大事にしてきたのが、「何を残して、何を変えるか」です。サイレントシリーズも、ボディの共鳴箱をなくして大丈夫だろうかとドキドキしながらつくりました。それでも、弦に触れる時のガイドになる部分は残さなければいけない。「ここは取っていいのか、いけないのか」と。単純に「引き算のデザイン」と言いますが、引き算には相当の覚悟がいる。議論を重ねながら、最後に残ったものが「なるほど、これも楽器だな」と思ってもらえるものをつくりたいと思っているんです。

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川田学|ヤマハ株式会社 参与 デザイン研究所所長

倉本 楽器は体に携えるものなので、身体性をフォローするための形だったり、バイオリンのFホールのように音響のための形だったり、歴史も機能的特性もある。その中で何を残し、何を省くかには、知識も要りますよね。

川田 知識というより、「楽器を演奏するのが好き、見るのが好き、かっこいいと思う」──そういうところを残したいと常々考えています。棒状のものを顎に挟んで構えると、うっすらとバイオリンに見えてきますよね。それくらい、人々の心の中には楽器の像がある。そのありようを残したい。でも一方で、「ここは思い切って変えなければいけない」というところもあるわけです。

山田 ヤマハさんは、実験的なデジタル要素のある楽器もつくられています。子どもたちが使い方を覚えると、とんでもない楽しみ方をしていて「こんな使い方ができるんだ」と興奮させられます。ああいうものも、「うまみ」になるのでしょうか。

川田 そう思っていただけるとありがたいです。楽器は、ただ便利なだけの道具ではありません。人が何かアクションを起こした時に、「音」というフィードバックがすぐに返ってきます。道具と会話しているような感覚があり、その会話自体が楽しくて、理想的には自然に上手になっていく。長い時間をかけて「楽しいな」という気持ちが持続する感覚は、まさに「うまみ」という言葉で言い得ていると感じます。

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原田優輝|編集者/デザインの手前

原田 ヤマハさんは「ユーズではなくプレイ」を掲げていらっしゃいますよね。能動的に働きかける必要がある楽器の中で、モノと人がコミュニケーションし、愛着が時間をかけて醸成されていく。楽器には、そういう特性がもともと備わっているのかもしれません。

川田 その道具と自分が一緒になって、できることが増えていく。「もっとこんなことをしてみたい」と思わせる道具を、僕は「プレイの道具」と呼んでいます。少し演奏できるようになると「もっと長いフレーズを」「誰かとセッションしてみたい」と、だんだん使うこと自体が目的になっていく。そういう道具でありたいんです。

ただ、それは楽器特有のことではありません。その道具と一緒にいる時間を過ごすことは、自分を大事にしていることと同じなんですよね。利便性や効率の話ではなく、それと一緒に何かをやっていること自体が楽しい。「使う・使われる」ではなく「一緒にプレイする」という関係は、楽器に限らず、もっと広がっていってほしいと思っています。

「余剰」が生む豊かさ

川田 こういった「人と道具の関係」は、僕が特に大事にしているところです。楽器とは、ただ物体がそこにあるというより、「相棒」のようなものだと思うんです。たとえばギターは、構えると肌と触れているところが多く、ボディのプロポーションやくびれもセクシーで、演奏中も口は自由なので弾きながら歌うこともできる。伴奏を弾きながら一緒に奏でていると、恋人と語り合っているような関係だなと思います。

一方、吹奏楽器は自分で出せるのは一音だけ。同じ「楽器と人」の関係でも、ギターがパートナーだとすれば、管楽器は自分の身体の拡張のような感じがします。プロの商売道具としてなら、自分の限界を超えさせてくれる相棒や戦友のようでもあるし、家に置いた時には、人懐っこく「もっと構ってよ」と尻尾を振っているペットのような存在の時もある、と思ったりします。

倉本 不思議ですよね、楽器のありようって。僕は自宅のリビングにギターとベースとドラムを置いているのですが、見て愛でているだけでいいんです。デザインのバランスに変なところもあって、プロダクトデザイナーとしては「これで正解なのか?」と思ったりもしますが、たしかにそこを直すとつまらなくなる。不思議なものでありながら、魅力的だなと眺めています。

原田 いまの時代、多くのプロダクトでは機能がどんどん付与されていきます。ただ、機能が過剰になるほど、使い手は自分から目的を見出すより、目的を与えられてしまい、道具に能動的に関わりにくくなる。楽器にあるのは過剰な機能ではなく、ある種の「余剰」で、それも「うまみのあるデザイン」のポイントなのかもしれません。

山田 少し視点がずれるかもしれませんが、倉本さんは釣りがお好きで、釣りの道具もデザインされていますよね。釣りは行為としてピュアというか、付与される機能が少なく、魚や海とのコミュニケーションそのものです。ああいったものをつくる時、「うまみ」はあるのでしょうか。

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山田泰巨|編集者・ライター/デザインの手前

倉本 釣り道具は、そもそもがうまみの塊だと思うんですよ。楽器と一緒で、趣味のための道具──日常生活には必要なくてもいいかもしれない道具です。

車に例えると、A地点からB地点まで荷物を積んで効率的にに移動するなら、ハイエースは一つの最適解だと思うんです。しかしフェラーリのような車を考える時、効率や利便性を超えた究極的な体験や趣きが移動という行為に付随してくる。そこに面白さがあるし、完全に趣味の道具です。目的地に行くまでに、どういう体験をしながら移動するか。釣りも楽器も、本当はその道具がなくてもいい、でもそこに楽しみがある、そのためにある道具です。

そう考えると、そもそもの存在が豊かなんですよね。だから釣り道具は豊かな存在で、そこで形づくられるデザインも自然と豊かになってくるのだと思います。

山田 過剰であるからこそ豊かになる、というのが面白いですよね。楽器も釣りも、結果的にそのプロダクトを通して自分と向き合うことになる。それが豊かさにつながっているのかもしれません。

川田 釣り道具はまさにそうで、竿のしなりを感じ、針の先に加えられたリアクションを掴む。道具を介して、自分の感覚が延長され、増幅されて感じられる。

こういう道具をデザインする時に思うのは、「その気にさせる」感じです。いい演奏ができた時、それは道具が良かったのか、演者が上手かったのかといえば、圧倒的に演奏者が上手かったはずなんです。でも、その演奏者をインスパイアして「こうやってみよう」とその気にさせる、はじめのモチベーションを与えてくれるのが、いい道具なのかなと思います。

倉本 最近、とある家電メーカーから先行開発の依頼があって、「豊かな存在をつくるにはどうしたらいいか」という大きなテーマだったんです。豊かさとは何かを問うていくと、ふと気づいたことがありました。自分たちがカメラを向けて撮るものは、多分「豊かなもの」なんですよ。心惹かれて「いいな」と思うものにしかシャッターは切らないと思うんです。

もう少し発展させると、僕らがデザインしたものを商品として良く見せたくて撮影する時、壺や置物は一緒に置くけれど、テレビは置かないんですよね。テレビは多分、豊かなオブジェクトではない。壺のほうが、機能はなくとも、存在として豊かなんです。なんなら、石ころや岩も豊かな存在でしょう。ここに、人間が「豊かさ」を感じる部分のルールやからくりがあるんじゃないかと思うんです。

川田 それがうまく説明できないから良い、というのが悩ましいところですね。説明してしまうと、情報が情報として消費されてしまう。いつまでも心のどこかに引っかかって、こちらを刺激してやまないものが残っているのだと思います。石ころをそこに置いたことには何か理由があったはずで、それを「色彩的にこれが欲しかった」などと言葉にした瞬間、その仕事を台無しにしてしまう感じがあります。

「音に艶がある」を設計要件に翻訳する

原田 「情緒」を考える上で、川田さんのお話にもあった「美意識」はすごく大事だと思います。ただ、組織でデザインをしていく時には、組織としての美意識もあれば、その中の個人の美意識もそれぞれある。インハウスでは、時に個人の美意識を殺さざるを得ない状況も出てくると想像します。個人の美意識と組織の美意識を、どうつないでいけばいいのでしょうか。

川田 チームの中で、デザイナーの美意識に多少のズレが生じることはあります。ただ、「この人はこんな風に楽しむだろう」「ミュージシャンのこの言葉を、自分はこう解釈した」という次元になってくると、その人個人ではなく、「その人が見ている世界を自分たちが共有できるか」という話になってくると思うんです。

そのために、「感性を科学する」ことを、社内でずっと言い続けています。高音・低音の伸びの良さは、比較的性能に落とし込みやすい。でも「音に艶がある」「しっとりしている」といった言葉が、どういう設計要件になるのかを、技術者のみなさんは一生懸命翻訳して考えているわけです。

最終的に道具を使う方がクリエイターの場合、彼らが何を望んでいるかを理解しようとし、デザイナーは「こう解釈しました」と投げかける。使い手が求めていること、それに対する解釈、そして自分の意思がどうそこにこもっているのか──その三者のバランスなのかなと思います。

もう一つお話ししたいのが、僕にとって楽器は永遠の憧れの対象で、それが僕にとっての美意識であることです。というのも僕自身は、何をやっても一人前に楽器を演奏できないんです。だからこそ憧れの対象として常に存在している。

こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、宮崎駿さんが描く飛行艇は、空への憧れ、空を飛ぶもののイメージそのものだなと思います。もし宮崎さんがパイロットだったら、違うデザインをしていたかもしれません。

僕自身は演奏ができないからこそ、演奏している人を「かっこいいなあ」と思う気持ちを表現したい。ヤマハのデザイナーには演奏できる者もできない者もいますが、「あの人の演奏、かっこいい」という感覚は、多分みんなが共感しているのだと思います。

倉本 よくわかります。知りすぎていると、かえってイマジネーションがそがれるというか、条件や信頼性、コストなどの要件から導き出された最短距離で答えを求めすぎるようなデザインに傾倒しててしまうこともある。良し悪しがありますよね。

川田 憧れは、まさに情緒的なものかもしれません。その言葉に嘘がないかどうかは、話していると感じられます。データで「これからはこうなる」と語ること以上に、その人が本当にこの形が好きなんだな、このミュージシャンが、この画家が好きなんだな、というのは自然とにじみ出てくるものです。

倉本 組織の中で、情緒をキャッチするセンサーのような感性・感覚を育てていく、ということはされているんですか。クリエイティブな集団になろうとすると、デザイナーだけでなく、判断する人、経営する人、営業する人──すべての人に、ものの良し悪しに対するリテラシーが求められるかと思います。

川田 そこは大きいですね。「いいものは見ればわかる」というのは、人を説得するためのデータではなく、当事者それぞれが「これはいいよね」と腑に落ちる、体験を共有するということです。人がモノを通して得ているものには、「インフォメーション」と、もう一つ「インスピレーション」があると思うんです。情報は言葉で、ロジックで語れる。でもインスピレーションは、受け手が同じような感度を持っていないとつながりません。

僕はグッドデザイン賞の審査に企業ゲストとして二回入りましたが、二回とも思ったのは、特別賞審査までいくと、あまり議論に時間がかからないんですよね。

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倉本 かからないですね。

川田 いいものは、みんなスパッと決まる。逆に当落線上のものには、ものすごく時間をかけて議論する。それを持ち帰って思ったのは、「これだけ議論が紛糾したということは、まだデザインにパワーがなかったんだな」と。本当にいいものは、インフォメーションもインスピレーションもグッと伝わり、スペックではなくひと目惚れのような感覚で判断される。そういうものは、あまり評価に困らないと思います。

美意識を耕す、準備運動

倉本 ただ、言葉にすると失われるものがある一方で、僕らは仕事で「再現性」を求められます。「あのいい感じでつくってください」となることが多いじゃないですか。夕日を見て「綺麗だな」で終わっては仕事にならなくて、どういう色彩のグラデーションだったか、明るさはどうか、空気の体感温度は?などなど。そういうことを全部、感覚から数値に置き換えて記憶し、次の依頼が来た時に表現できるように再現性を持つ。デザイナーは普段から、ずっとそれをやっているんです。

提言の中でデザイン思考についても少し書いたのですが、デザイン思考は、その過程を踏めば誰もがクリエイティブになれるというものではなく、クリエイティブになるために何が必要かを教えてくれる、ある種のエクササイズです。そう捉えれば、非常に優れたツールであり、考え方だと思っています。

川田 なんとか解像度を深めて観察しようとしても、あの夕日の美しさには敵わないかもしれない。潮風があったからかもしれないし、誰かと一緒にいたからかもしれない。それでも、その中のある部分をなんとかして定着させ、表現したい。その執念や覚悟に、人は感動するのだと思います。

原田 提言には「準備運動で美意識を耕す」とも書かれていました。組織の中にいる個々のデザイナーが美意識を耕していくために、具体的に取り組まれていることはありますか。

川田 私たちは30人ほどの体制で年間300アイテムほどをデザインしていて、一人のデザイナーは大体一つのアイテムを隅から隅までデザインします。本体裏のネジ位置から、パッケージ、ロゴ、店舗の什器まで。やればやるほどどこまでも深入りできるので、それがそのデザイナーのこだわりを醸成する部分になっています。

また、通常の商品開発と並行して、ミラノなど海外の、デザインへのリテラシーが高い方々に向けて「いま、こんなことを考えています」と発信し、共鳴やリアクションを得る活動も続けています。展示会では、会場の説明員もデザイナー自身が務めます。自ら説明することで、リアクションを生身で感じる。「こういう工夫はちゃんと届く」「こういう工夫は独りよがりだった」ということが、実体験として蓄積されていくのだと思っています。

倉本 僕は提言にも書きましたが、組織としては、社員ができるだけ多くの文化的体験に触れられるようサポートすべきだと思っています。良い体験を知らなくては、美味しい料理を食べなくては、何がいいものかわからないし、つくれないし、再現できない。同時に、良くない事も体験しないと、何がいいもの かわからない、というのもある。

平和は、平和ではない状態があるからこそ良いと思えるわけです。組織を運営・経営する側がその両方を体験できるようにすることが、組織の感覚値を最大化すると思います。

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わからないものを、わからないまま抱える

山田 今日のお話を聞いていて、共感を呼ぶものには、ある意味でリスクもあるなと思いました。SNSが発展したいま、うまみがないのにパッと見は情緒があるように見え、すごいスピードで追いかけてくる。たとえば右肩上がりの手書き文字のようなテイストも、最初にやった人には「ぬくもりのある文字で届けたい」という思いがあったはずですが、どこかで陳腐化していく。情感のあるものは人の心を引くので、「それ風」なものも量産される。どうしたら魂がこもるのかを、タフに考え続けないといけない時代だなと。

倉本 一番悩ましいところです。僕自身、気づいたらスマホをスワイプし続けていますから(笑)。あれはずるいですよね。ついつい気になるように、うまいことつくってある。

原田 そこでも、川田さんがおっしゃっていた「時間軸」が大事なのだと思います。SNS上でアテンションエコノミー的に消費を加速させるデザインは、スクロールする一瞬で情緒を感じさせるように意図的につくられていて、「右肩上がりの手書き文字」もそれに類するものだと思います。それは先ほどのデザイン思考の話とも近くて、型ができること自体には良い面もあるけれど、型だけをコピーすると本質が抜けてしまう。そうではなく、長期的に付き合っていく中でうまみが出てくるようなものづくりが、それとは別の位相で、すごく大事なのだろうと感じます。

そしてもう一つ。この「情緒」は、そもそも言葉だけで語り得るものではない、という前提もすごく大事な気がしています。いま、賢人たちが言葉を尽くしてデザインを語る状況が増えていて、それ自体は良い面もある。ただ、に、気づいたらデザインを語る場にデザイナーが不在という状況が増えていることを僕は結構問題視しています。

デザインが新しい知を獲得していくのは大事なことである一方で、言葉にできないことに深入りしながら考える行為も、デザイナーにとっての本質です。特に情緒のような言語化が難しい領域は、ある意味で言語化しすぎないほうがいい。言語化できないことで苦しむことが、大事なのだろうと思います。

倉本 「すべてを言葉にできるものではない」という前提の上で、対象に向き合っていこうとするのは、とても大事な行為です。わからないものに対して、わからないままでも理解しようとする。変な言い方ですが、わからないものを、わからないまま自分の体の中に入れることは、なかなか大事ですよね。

山田 最後に少しだけ。僕たちが音声メディアをやっている理由も、実はそこにあるのかもしれません。テキストは読みやすく、理解もしやすい。けれど一方で、言葉の温度感やスピード、その人の言葉遣いや気遣いといった複雑な情報が抜け落ちる。伝えるという意味で文字化はすごく重要ですが、音声で聞くことでしか伝わらないものがある──僕たち自身も実はずっと「情緒」に向かっていたのかもしれない、と最後に気づかされました。

小山 和之

エディター、ライター


今井 駿介

フォトグラファー

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。