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グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

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この記事のフォーカス・イシュー

半径5mの人を思うデザイン

やさしい社会は、“半径5m”からはじまる。 「当たり前」の問いなおしから、波紋を広げていくデザイン

2023.03.09


真のインクルーシブデザインへの道のり

デザインの世界にいると「デザインの力で社会を変えたい」「社会に大きなインパクトをもたらしたい」といった思いを持つ方にたくさん出会います。近年は、多様な人の視点に立ちながら、社会をより包摂的(インクルーシブ)に変えていこうとする動きも増えてきました。

喜ばしい傾向だと思う反面で、ひとつ私が気になっているのは、あまりに“大きなこと”をやろうとして、本当にデザインを必要とする当事者が置き去りにされてしまっているケースもあるのではないか……という点です。実際に「インクルーシブデザイン」という理念を通して生み出されたプロダクトや仕組みの開発プロセスについて聞いてみると、当事者へのリサーチが不十分だと感じることがあります。

そこで今回、私は「半径5mの人を思うデザイン」をフォーカス・イシューのテーマにしました。そもそもデザインとは、本質的に「人を思う」ことで生まれるものだと私は考えます。デザインを行う際、私たちは徹底的にリサーチをし、ユーザーのことを理解しようとする。他者のことを考えるその力を使って、デザイナーは真っ先に“大きなこと”を目指すのではなく、まずは自分の身の回り、“半径5m”をもっと見つめてほしいと思ったのです。

ただし、デザイン業界自体が「多様とは言いがたい」現状には、注意が必要です。私は身体に障害がありますが、例えば日本の美大に通っていた頃、そのような生徒は他にいませんでした。今でも、“車椅子に乗ったアートディレクター”が珍しい存在であることに変わりはありません。デザイン業界に限らず日本では、まだまだ日常の中で障害のある人がそうでない人と当たり前のようにいられる環境にはなっておらず、当事者として、障害に対する理解も不十分だと感じています。他のマイノリティの方々も、そう感じることが多いのではないでしょうか。

そのため、もし自分の“半径5m”が多様でないならば、デザイナーはもっと外の世界にも出て行かなくてはなりません。さまざまな人と出会い、その人を思って、真の「インクルーシブデザイン」に取り組んでほしいのです。デザイナーが“誰か”を思うとき、その“誰か”が視点も人生経験も違ったユニークな存在であればあるほど、優れたデザインが生まれるのではないかと考えるからです。

そうして私たちの身の回りが多様になれば、より多くの方に届くデザインも増えていくのではないでしょうか。ここではグッドデザイン賞の審査の過程や、他の審査委員とのやり取りで見えてきた、「半径5mの人を思うデザイン」を実現し、より広げるためのポイントについて書いてみたいと思います。

属性ではなく、“ひとり”として見ること

まずカギとなるのは、「属性ではなく、“ひとり”として見ること」。その人の抱える問題を、年齢や性別、国籍や肩書きを前提に考えるのではなく、固有の人間の課題として捉える、という意味です。

例えば自分自身を表す時に、私は「障害者」という言葉をなるべく使わないようにしています。「障害者」「女性」「外国人」といった属性でひとくくりにした途端、固定観念や既存のイメージにとらわれ、本質が見えなくなってしまうと考えているからです。実際「車椅子ユーザーのための商品をつくりました」と言われて見てみると、必ずしも当事者が欲しいと思えるものではなかったりする。それは“ひとり”の抱える問題をつぶさに見るのではなく、「車椅子ユーザーはこんな人たち」というイメージで漠然と捉えてしまっているからではないでしょうか。

大切なのは、さまざまな人たち一人ひとりと対話し、それぞれの課題を集め、その本質はどこにあるかを探ること。自分たちの身の回りから、それをはじめることです。2022年度のグッドデザイン大賞を受賞した「まほうのだがしやチロル堂」はまさに、その実践を感じさせる取り組みでした。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/10335
奈良県生駒市にある「まほうのだがしやチロル堂」。18歳以下の子どもたちが1回100円で回せるガチャガチャに、店内通貨「チロル札」が1~3枚入っている。1枚で100円分の駄菓子はもちろん、通常300〜500円のカレーや軽食を食べることができ、その費用を大人たちが寄付によって支えている

どんな立場の子どもでも気軽に来られる空間にすること、ガチャを回すと手に入る「チロル札」でごはんが食べられるようにすることなど、目の前の子ども目線で「ここに来たい」「居たい」と思える工夫がされています。

「貧困や孤独に直面する子どもを支援する」のが大きな目的ではありますが、子どもたちを特定の属性で分け、その一部だけを救おうとするだけでは、こういった仕組みにはならなかったでしょう。気軽に寄付できる方法がいくつもあり、地域のさまざまな大人が取り巻いている。「支援する人/される人」の関係が固定化されないからこそ、持続的な場になっています。行政や政治をすぐに変えるのは難しいかもしれないけど、目の前の半径5mを変えることで、社会が変わっていく……そんな可能性を感じました。

interview

※参考記事:「支援」を超えて、目の前の関係性からはじめるデザイン──吉田田タカシ×ライラ・カセム

好みの既製服を、身体の不自由に合わせてお直しできる「キヤスク」もまた、当事者と当事者を取り巻く人の関係性をつぶさにリサーチし、その人たちにとって本当に望まれるサービスとなった事例だと思います。障害のある子を持つご家族の多くは、子どもの介護や介助を理由に仕事を辞めたり、セーブしたりしている現実があります。キヤスクではそんな人たちの就労機会をつくり、かつ他の障害当事者にとって「着やすい服」を提供する。チロル堂と同様に、“ひとり”の周囲にいる人々の新しい関係づくりが実現しています。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/8846?locale=ja

革や木の自然素材を使いつつ、衝撃を吸収して身体の負荷を和らげるVilhelm Hertz(ヴィルヘルム・ハーツ)の「杖」も、“ひとり”の課題を的確に捉えたデザインです。これはデンマークにある建具工房を訪れたLea(リア)さんという方が、実際に愛用する杖の修理を依頼したことから、スタイリッシュで手に馴染むプロダクトが生まれました。

カテゴリーとしては「家庭用福祉用品・介護用品」に分類されていますが、デザイナーであるKristoffer(クリストファー)さんはこれを「生活用品」と言っています。その点も当事者である私自身、とても共感するところ。杖はどうしても「医療用具」というイメージで、あまり美しさが考慮されていないものも数多くあるなか、これはカッコよくて「持ちたい」と思えるものです。実は私も名前を付けて愛用しています。持ち手の木の部分にオイルを塗るなど、手入れをするからこそ愛おしい存在になっていくデザインは、当事者に対する入念なユーザーリサーチ、いわば理解によって生まれたものだと感じます。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/13812

目的だけに縛られない、“熱意”があること

「半径5mの人を思うデザイン」を実現するふたつ目のカギは、「目的だけに縛られない、“熱意”があること」です。

最初から「“障害者”のためのデザインはこうあるべき」と定めていってしまうと、狭い世界に閉じたまま、当事者以外にも広く使われるプロダクトやサービスになりません。むしろ「面白い」「かっこいい」「きれい」といった率直な感情からプロダクトやサービスを考えたほうが、多様な人に「自分はこう使いたい」と想起させ、結果として真にインクルーシブなデザインを生み出すのではないでしょうか。

「触ってわかる中国語の教科書(Tactile Graphic Books of Chinese Language for Primary School)」は、まさに熱意から生まれたデザインだと感じました。動物や植物、乗り物などが独自に開発した繊細でシンプルなグラフィックと凹凸で表現され、視覚障害のある子だけでなく、目の見える兄弟姉妹や友だちとも一緒に同じ絵本として楽しむことができます。

チーフデザイナーの林子翔(Zixiang Lin)さんは、この教科書をつくったきっかけを「点字が面白いと思ったから」と話していました。背景には中国における点字教育の課題もありましたが、何よりデザイナーとしての純粋な好奇心(curiosity)から生まれたものです。その関心がデザイナーの中で重要な問いを生み、結果として、視覚障害のある子たちの半径5mに目を向けることにつながり、当事者たちの暮らす環境に深く根ざしたデザインを生んだのでしょう。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/11735

もうひとつ、開発者による強い熱意が、当初の想定を上回る効果を生み出した興味深い事例が「さかなかるた」でしょう。印刷会社の特殊印刷技術を使って、魚の表皮をリアルに表現したかるたです。手に取ってみるとわかるのですが、ウロコの凹凸や光を反射するキラキラ感まで細かく再現されています。「これぞ印刷業の底力!」と思うほど技術の粋が詰まっていて、見れば見るほど開発者のこだわりを感じます。

このかるたは「コロナ禍で外出する機会の減った子どもたちに、少しでも自然を感じてもらえるような遊びを」と開発されたものですが、私は発達障害や自閉スペクトラム症の子どもたちも一緒になって遊ぶ様子がすぐにイメージできました。視覚や触覚だけでどんな魚かわかるようにデザインされているので、文字を読むのが苦手な子も直感的に楽しめる。魚だけでなく植物や虫などにも応用できるでしょうし、拡張性があるデザインだと思います。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/13768

半径5mの人を思うための「問いの習慣」

では今後、こうした「半径5mの人を思うデザイン」を広げていくために何が必要か。私はふたつのポイントを指摘したいと思います。

ひとつが、「問いかけの習慣づけ」です。私自身、教育現場に携わっていますが、学生たちの様子を見ていると、「問い」の意識が希薄だと感じます。無理もありません。今でも基本的には小学校から大学までずっと座学がメインで、問いに対する「正答」を出すのが主な目的。デザイン教育の場でも、学生たちの作品を先生が一方的に講評するだけで終わってしまうのがほとんどです。講義中に輪になってみんなで作品を講評し合うような機会を増やすことで、さまざまな人から意見をもらい、多様な視点から考える習慣を養う必要があるのではないでしょうか。

「半径5mの人を思う」とは、自分が起点ということです。そこから、他者に目を向けていく。周囲を見回す際も、「現状(status quo)」を問いかけ、「当たり前」を捉えなおす意識は重要です。大人になればなるほど、世界のことを知ったつもりになって快適に感じられる機会は増えますが、実は「井の中の蛙」になっているかもしれません。そうならないよう、現状を疑って、いつものルーティンから抜け出してみる。

例えば、Googleマップでサジェストされた近道ではなく、ちょっと遠回りしてみると、自分好みの店が見つかったり予想もしない発見があったり。自分が何に気づき、何に興味を持ち、何にワクワクするのか……まず自らを知り、周囲の当たり前を問いなおすことから、半径5mへの目の向け方を考えてみるといいかもしれません。

みんなの半径5mを変え、社会をインクルーシブに

もうひとつは、「デザインスキルのある当事者」を育てること。まだまだ世の中では、マイノリティとされる人は、リサーチ対象となる「ユーザー」に留まっている印象を受けます。その現状を変えることで、一人ひとりの半径5mがより多様になる社会をつくっていくことが必要だと考えます。

私は、日本のデザイン教育は技術水準としては非常に高いと感じています。だからこそ、学生時代から多様な人同士が学びあう社会(インクルーシブな教育現場)が実現すれば、より実社会に根ざしたデザインも増えていく。あらゆる当事者にとっての課題を解決し、心から「使いたい」と思えるデザインも実現していくのではないでしょうか。

そうした先に、あらゆる人が属性で「カテゴライズ」されないインクルーシブな世界が生まれるはずです。「30代女性は」「お年寄りは」「〇〇に勤める人は」……そんな固定観念がまだ強い今の世界は、どこかギスギスして怖いと私は感じます。公園や保育施設周辺の住民から「うるさい」などと苦情が届くようになった問題も、「子どもはうるさい存在」と決めつけ、そこで楽しく遊ぶ子ども一人ひとりの顔が、見えなくなってしまったからなのかもしれません。

カテゴライズをなくし、人を人として見られるようになれば、心に余白が生まれ、より豊かでやさしい社会になっていくはず。その第一歩として、まずは自分の半径5mの、身近な人を思ってほしい。そしてその世界がもっと多様なものとなるよう、世の中の“当たり前”に波紋を広げるようなデザインが生まれていくといいなと思います。


ライラ・カセム

デザイナー/アートディレクター|一般社団法人シブヤフォント

障害福祉の現場の創作活動とデザインを繋げ、協働創作を通して商品開発や様々なプロジェクト企画・運営。障がいのある人々の経済自立・社会参加とデザイナーや企業の社会意識を促す活動をしている。その象徴でもある「シブヤフォント」ではアートディレクターを務め、近年で本プロジェクトはグッドデザインや内閣府オープンイノベーション大賞など多数の賞を受賞。東京大学特任研究員、桑沢デザイン研究所非常勤講師なども務める。