2024年度フォーカス・イシュー
「はじめの一歩から ひろがるデザイン」を考える
「多元性」から考える、協働と共創のデザイン──オードリー・タン × 太田直樹
2025.02.17
近日公開予定の2024年度提言をまとめたフォーカス・イシュー・レポート。リサーチャーとして参画している太田直樹は、自身の提言として「柔らかなビジョンのもと、小さな挑戦を連鎖させる」と打ち出した。その内容をいっそう深めるべく、対話を打診したのは、台湾で初代のデジタル発展相を務めたオードリー・タンだ。今回は誌面の都合上レポートに載せきれなかったエピソードも含め、先行して対話の様子を全文公開する。
「分断」や「対立」の時代とも言われるいま、「協働」と「共創」をもたらすテクノロジーはいかにしてデザインしうるのだろうか? 問題をエネルギーに変えて未来を創造するための道のりを議論した。
改定されないルールは、“儀式”や“神話”も同然である
太田 以前、オードリーさんが私が住んでいる真鶴を訪れてくださったとき、パターン・ランゲージにもとづいたまちづくりのルール(まちづくり条例「美の基準」)に関して「街で暮らす人々はどのようにそのルールを改定しているのか?」と問いかけてくれました。
今日、私たちは互いにつながり合い、いつでもルールに小さな変更を加える力があります。そして、その小さな変更は大きな変化につながる可能性がある。それにもかかわらず、多くの人々はルールを守ることがすべてだと思い込んだり、変更がもたらす可能性に思いが至らなかったりする。
「人々はどのようにルールを改定しているのか?」というあなたの質問は、今回の私の提言「柔らかなビジョンのもと、小さな挑戦を連鎖させる」に直結する論点だと思っています。
タン ルールに改定がなければ、それは儀式や神話のようなものになってしまいます。その場にいる誰もが英語を話せてコミュニケーションが取れるのに、仮に誰もそのことを言い出さなければ、誰も英語を話さない……そんなシーンと同様になってしまいます。
太田 まさしく。そして本題に入る前に、そのテーマを考えるにあたって、私が注目している2024年度グッドデザイン賞の受賞作をいくつか紹介させてください。
まず一つ目が「IKEBUKURO LIVING LOOP │ 池袋リビングループ」です。日本で3番目に乗降客の多いターミナル駅がある池袋ではこれまで、いくつかの地域活性化プロジェクトが実施されてきましたが、具体的な成果にはつながっていませんでした。ところが2017年、池袋で育った一人の人物が地域コミュニティの改革に乗り出しました。
この改革により、人間関係が希薄だった街に、個人、地元企業、行政の人々のつながりが生み出されたのです。池袋の人々は街路や公園を街のリビングルームとして捉え直し、居心地の良い雰囲気の中で時間を過ごしています。自治体が道路や公園の利用をめぐる政策を柔軟に見直すようになったことは、注目に値すると考えています。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/26336タン 色彩とアフォーダンスがうまく融合しているように見えますね。リビングルームは他の部屋(場所)とつながっているものであり、人を歓迎する場所です。街のメインストリートでそれを表現することは、「ストリート」の定義を変えることにもなります。次の目的地につながるためのストリートではなく、他の人々とつながるためのストリートになっているのではないでしょうか。
太田 その通りです。以前のストリートはA地点からB地点へ移動するための手段に過ぎなかったわけですが、今では人々はストリートでリラックスしたり、お互いにつながるために多くの時間を過ごすようになっています。
もう一つ紹介したい受賞作が「馬場川通りアーバンデザインプロジェクト」。200メートルの市有道路を民間の資金と計画により、行政と協働でリノベーションした日本初のプロジェクトです。この街には首都圏に水を供給する最大の河川が流れています。その昔、この街の人々は豊かな水と自然を享受していました。ところが、戦後の都市化により水路には蓋がされ、車中心の街へと変貌を遂げました。しかしこの道路を水路とつながる、憩いの場として改修したいと考えた市民たちが立ち上がったのです。
タン 素晴らしいです。民間主導であれば地方自治体の予算サイクルを待つ必要がないですものね。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/27150目指すべきは「未来の自由化」
太田 3年ほど行政で仕事をした経験から、疑問に思うことがあるのですが、なぜ自治体や行政は柔軟にルールを変えづらいケースが多いのでしょうか?この二つの受賞作は特別な例外なのでしょうか?
タン 行政は「ルールを変更することで、本当により多くの人々が公共部門に参加できるようになるのか?」を気にしているのだと思います。もしルールの変更が特定の人々の利益に資するようなかたちだと気づいたとしても、民営化されたり、人々が主導権を持つプロジェクトになったりしていると、元に戻すのは困難です。また、大規模でかつトップダウン型の建設プロジェクトなどでは、後からルールを変更しようとしても、元に戻すことはできないケースが少なくありません。
ですから、私が「未来の自由化(free the future)」と呼ぶあり方、つまり次世代がより柔軟性と流動性を持って動けるようにするあり方を取り入れるべきだと思います。そうすれば、多くの公共サービスにとって、ルールを変更しやすくなるはずです。
太田 そうした「ルールの変更」に対する人々の考え方に関して、台湾はどのような状況なのでしょうか?
タン 台湾では、20世紀後半に政府が非民主的な戒厳令を敷いていたときにも、コミュニティレベルの草の根の組織がたくさんありました。市長を交代させるための投票をせずとも、自分たちでコミュニティに関わる問題を解決できるという規範を持っていたのです。
この考え方は台湾ではかなり前から一般的であり、国家を補完する形で存在しています。その意味で、人々の行動は国家や投票行動によって押し付けられるのではなく、草の根から育まれるものなのだと思います。
太田 コミュニティのような集団でものごとを議論していく「グループ・シンク(集団思考)」は、多くの機会を与えてくれるという考えがある一方で、役に立たないという考えもあります。
タン グループの多様性次第だと思います。3〜5人程度の小規模なグループであれば多様性を反映させることができます。ところが、グループの規模が5,000人になると、多様性を追求するのが困難になります。そこで、有用になるのがAIをはじめとしたデジタル技術です。例えば、まずは3〜5名程度の人々が快適に話せるグループをつくったうえで、テクノロジーによってそれらのグループをつなげたり、共鳴できる場所をつくったりする方法が有効なのではないでしょうか。
太田 ただ、現実には多くの国は、十分に多様性が認められる社会にはなっていない。そうした社会の実現を困難にしている要因はどこにあると考えていますか?
タン 多様性に触れたことで嫌な経験をしたとき、負の効果が生み出されることがあります。この経験のせいで、次に自分と異なる誰かを見かけたとき、実際以上に極端な存在とみなしてしまうのです。
とりわけソーシャルメディアでは過激な意見がバイラルに拡散されやすい。そのせいで、自分とは違う意見を持つ人々に対して「あいつらは我々を嫌っている」と錯覚させる。そのリアクションが連鎖すると、暴力に発展しないまでも、人々が互いに距離を置き、疎遠になるという、分極化のサイクルが進んでしまうのです。
では、デザインは多様性に対してどんなアプローチを取るべきなのか。私が思うのは、「多様性は良いものだ」と人々に伝えるのではなく、むしろ異なる環境で人々に多様性を体験させる方が重要なのではないかということです。空間を共有することによって、この場所は安全であるという認識が形成され、長期的に多様性への理解が進むのではないかと考えています。
インターネット以降の世代に芽生えた、「協働」の規範
太田 2024年度のグッドデザイン賞フォーカス・イシューでは、受賞作から読み取れる潮流を踏まえて「はじめの一歩から ひろがるデザイン」というテーマを設定しました。つまり、新しいデザインは市場の需要によって導かれる大きなアイデアからではなく、個人のアイデアから始まることが多いという視点です。例えば先ほど私が紹介した2つの受賞作をはじめ、少なくない受賞作が、マスタープランを持たない個人から新しいデザインやアイデアが生まれています。あなたは、こうした潮流はなぜ生じていると思いますか?
タン インターネットが生まれたことで、アイデアを持つ個人が、トップダウンの組織よりもはるかにうまく、ステークホルダーとつながることが可能になりました。つまり、デジタル技術によって組織化の原則が逆転したことが大きな要因になっているのではないでしょうか。
とりわけ、生まれた時からインターネットが身近にあり、『World of Warcraft』や『Minecraft』といったオンラインゲームに慣れ親しんできた世代は、遠く離れた人々と当たり前のようにコラボレーションをしています。テクノロジーの変化と同等に重要なのは、見知らぬ人々と価値観を共有し、協力することが当たり前になったという規範の変化です。
私がまだ幼かった頃、両親から「知らない人の車に乗ってはいけない」「知らない人の家に泊まってはいけない」と言われたものですが、今ではUberやAirbnbが一般的なサービスとして受け入れられています。同じ価値観を持つ見知らぬ人々が何かを共同で創造するという、新しい原則に基づいて、あらゆることが組織化されるようになっているのです。
太田 私たち日本人の経験でいえば、2011年に起こった東日本大震災が一つの契機になりました。この震災を機に、人々は盛んにソーシャルメディアを使い始め、これまでと異なる方法でつながり合っているのを目撃しました。以降、あなたが言うように、コミュニティは予想以上に広く、深くなったのです。
一方、ソーシャルメディアを見ていると、私たちはつながっているにもかかわらず、そのつながりが閉鎖的であったり、分断されている状況もあります。しばしば「エコーチェンバー」や「フィルターバブル」といった概念で説明されるこうした状況について、あなたはどう思われますか?
タン 具体的にどのソーシャルメディアなのかによって、様相は異なると思います。Xは各ユーザーに個別化されたアルゴリズムフィードを採用しているため、ユーザーごとに断絶され、幅広いつながりを持てる可能性は低くなります。一方、GitHubやLinkediInのようなサービスではXとは異なる規範によってサービスが運営されているため、また違ったユーザー同士のつながりのあり方になっていることを指摘しておきたいと思います。
太田 4年前、『サピエンス全史』で知られるユヴァル・ノア・ハラリと「ハックするか、ハックされるか」というテーマで対談されていましたよね。そこでもアルゴリズムやAIの話題が語られていました。
タン 端的にいえば、「私たちはいずれアルゴリズムの操り人形になる」というのが彼の主張でした。この意見に対し、私は二つの対応策が必要だと考えています。
一点目は、人間の側で自律性を高めることです。AIコーチやAIセラピストが言うことを100%受け入れるのではなく、気に入らない場合は修正をかける。そうしたAIとの間のフィードバックループによって、人間が成長できるようになるはずだと。
二点目は、人とのつながりを持ち、コミュニティを形成すること。人間関係構築力を筋肉にたとえて考えてみましょう。本来、あなた自身がジムへ行き身体を鍛えなければならないのに、ロボット(AI)が「私が代わりに持ち上げるから、君は見ているだけでいい」と言っても、あなたの筋肉は育ちません。人間関係を築く力はAIに頼ることなく、自ら育まなければならないのです。
対立を共創に変える「Plurality」という思想
太田 あなたは2024年に出された著書で「Plurality」(「多元性」「多様性」を意味する言葉)というビジョンを提唱されました。最後にこの考えも踏まえて、デザインの未来について議論したいと思います。
タン 「Plurality」の考え方はシンプルです。基本的に、多様性によって生じる対立はバグではなく、特徴だと考えます。対立は共創に変えることができる。そのための考え方が「Plurality」なのです。ただし、そのためには技術が必要です。例えば、先ほどあなたは東日本大震災が新しいテクノロジーが社会に浸透する一つの契機になったと指摘しました。たしかに自然災害は甚大な被害をもたらしますが、その副産物として人々は潜在的に持っている可能性に気づいたのです。
そうした共創のための重要な技術の一つが「シビックテック」(編注:市民がデジタル技術を活用して地域の問題を解決する取り組みや技術のこと)です。この考えが広まれば、誰もがより良い未来を創造するためのデザイナーになることができます。災害のような緊急事態が起きても、うろたえることなく、テクノロジーを活用することで、人々のエネルギーを集めて解決策を考えられるはずです。多くの人がそうしたツールにアクセスできればできるようになるほど、多様性も補完されます。
さらに、近年はAIが翻訳ツールとしても有用性を増しています。これまでは多くの人は自分のビジョンを絵で描くことができなかったかもしれません。しゃべったり、書いたりすることの方が得意だったでしょう。しかし今では、生成AIを使うことで、あなたのビジョンやアイデアをAIがとても美しく絵や図に変換してくれます。今後、多くの人々がこの翻訳ツールを利用するようになれば、文化の違いを超えて、より良い協調関係を築くことができるようになるでしょう。
太田 行動のみならずマインドセットの観点でも、とても革新的な視点の転換ですね。先ほど、多様性を困難にしている要因の話をしましたが、「Pluralityによって、対立が共創を生み出すエネルギーになる」という可能性は素晴らしいです。ここで、あえて「共創」に伴う副作用や落とし穴を考えるとすれば、何が考えられるでしょうか?
タン 古典的な問題はアクセスです。仮にデジタル民主主義のプラットフォームがあったとしても、人口の三分の一から半分が適切な接続環境を持っていなければ意味がありません。こうした状況の場合、人々が「共創階級」と「非共創階級」に分断されてしまいます。そのため、常に「私たちは誰かを置き去りにしているのではないか」という視点を持つことが重要です。
その点において、私は日本はとても優れていると思っています。時折、日本のデジタル化の普及率が世界で20〜30位といったニュースを見かけることがあります。そのことが日本はDX後進国であるといった印象を与えるかもしれません。
ただし、これは何もレースではないのです。テクノロジーの発展や浸透は混乱や災害の狭間、曲がりくねった峠道をナビゲートしながら進むようなものです。そもそも道のりが不安定なのであれば、全速力で突き進むことは望ましくありません。崖から落ちてしまうからです。操縦性と柔軟性を維持したまま、適切な速度で進むべきなのです。
太田 とても勇気づけられる意見です。
タン もしあなたが全速力で走っていないのであれば、誰もが一緒について来ることができます。そうなれば、誰も置き去りにすることはありません。誰も置き去りにしないことで、可能性はどんどん広がっていきます。道を狭めるのではなく、広げるのです。そうすれば、人々はより安全を感じ、罠に陥る可能性は低いと感じるでしょう。
今、人々がAIに対してもっとも恐れているのは、仕事を奪われることではなく、むしろ意思決定をAIに独占されてしまうことです。それでも、もちろんそれぞれが能力を磨いたり、リスキリングすることはできるはずです。そのためには、誰も置き去りにしないことが重要です。共創を少人数のためのものに限定しないためにも、適切なペースで進めていくことが大切なのです。
太田 あなたの考え方はとても励みになります。なぜなら、今日本は多くの面で地位が低下していることが明らかになっているからです。ただ、あなたが言うように対立や問題をエネルギーに変えることで、未来を創造していくことができると感じました。
タン 日本には社会におけるコミュニティ間の関係を築く能力が、世界でもトップクラスにあると思っています。災害が起こった場合でも、誰もそこから利益を得ようとしません。大企業であっても、利己的とみなされれば、日本社会では生き残れません。
だからこそ、私が提唱する「Plurality」という考え方とも親和性が高いのです。「Plurality」は誰一人取り残さないようにしながら、社会的結束や合意形成のための協力的な力になる可能性を秘めているのです。
今年度フォーカス・イシューの活動を総括するレポートは、本ジャーナルにて近日公開予定です。レポートでは、今回の有識者対談をはじめ、ディレクター・リサーチャーの6名が審査対象を横断的に見て議論を重ねた成果をまとめ、具体的なアクションを「提言」としてまとめています。この一年の探究が詰まったレポート、ぜひご期待ください。
オードリー・タン
元台湾デジタル大臣(内閣大臣)。1981年、台湾台北市生まれ。蔡英文政権下で、史上最年少の35歳で行政院(内閣)デジタル大臣に任命され、オープンガバメント、社会イノベーション、各部署を横断した若者の参画などを主導した。
太田直樹
共創パートナー 株式会社 New Stories代表取締役社長
2014年まで、ボストンコンサルティングの経営メンバーとして、アジアのテクノロジーグループを統括。2015年から17年まで、総務大臣補佐官として、デジタル戦略と地方創生の政策策定に従事。2018年にNewStoriesを立ち上げ、デジタルに関する専門知識と官民のネットワークを活かし、未来の価値を創造する仕事をしている。Code for Japanなど、テクノロジーを活用するコミュニティづくりを支援。
長谷川リョー
執筆
文章構成/言語化のお手伝いをしています。テクノロジー・経営・ビジネス関連のテキストコンテンツを軸に、個人や企業・メディアの発信支援。主な編集協力:『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文、落合陽一)『日本進化論』(落合陽一)『THE TEAM』(麻野耕司)『転職と副業のかけ算』(moto)等。東大情報学環→リクルートHD→独立→アフリカで3年間ポーカー生活を経て現在。
今井駿介
フォトグラファー
1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。
小池真幸
エディター
編集者。複数媒体にて、主に研究者やクリエイターらと協働しながら企画・編集。