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「よいデザイン」がつくられた 現場へ

よいデザイン、優れたデザイン、 未来を拓くデザイン 人々のこころを動かしたアイデアも、 社会を導いたアクションも、 その始まりはいつも小さい

よいデザインが生まれた現場から、 次のデザインへのヒントを探るインタビュー

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今回のお訪ね先

株式会社磯野商会/渡辺治建築都市設計事務所

理想郷は、つくれる(前編)

2024.06.13

もともとそこにあったものと、すぐに使えるありあわせを集めて転用し、新しいものにするという、ブリコラージュを行う建築手法が近年、注目されています。昭和期の在日米軍用の住宅地を再生させたジョンソンタウンはその好例で、意図的なデザインからは出てこない懐の深さがある、誰にでも開かれた"まち"です。さまざまな世代が住み、働き、交流する、コミュニティのあるタウンですが、かつてはスラム化していました。なぜ、理想的な環境へと変身できたのか。所有・管理者の磯野商会 磯野達雄さん、磯野章雄さんと、計画・設計した渡辺治さんに語っていただきました。


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季節の花が咲き誇るジョンソンタウンには、住宅だけでなく、飲食店やショップがあり、年間40万以上の人が訪れる。
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タウン内の道路のほとんどは私道で、コインパーキングを設け、通過交通の車は入れない。広々としたストリートと広場は、みんなに開かれた共有のリソースとなっている。

米軍ハウスという資産

— ジョンソンタウンは初めて訪れましたが、空が広くて驚きました。2.5haにも及ぶ広い敷地に、緑と調和した住宅と商店が建ち、広場には会話を楽しむ人の姿が見えます。ゴミもなく、交通は規制されていて、子どもやお年寄り、障害者が安心して過ごせる"まち"になっていますね。

磯野 達雄(磯野商会代表取締役) そもそもここは、戦前に父親が取得して、農園をしていた土地なんです。その一部(現在のジョンソンタウンの敷地)に約50棟を建てて、陸軍航空士官学校の将校家族が住んでいました。当時「磯野住宅」と呼ばれていました。

— 現在は24棟の平屋の米軍ハウスのほか、約40棟の平成ハウス、日本家屋(戦前の将校住宅)、セキスイM1、M2などを含めて、約80棟の住宅が立ち並びます。

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タウン内に置いてあるガイドマップ。定期的に更新している。

— タウンに隣接する航空自衛隊基地は、終戦後に米軍に接収され、ジョンソン基地と呼ばれていました。これがジョンソンタウンの由来なのですね。

1950年に朝鮮戦争が勃発した際、在日米軍が増員されて米兵の家族住宅が不足したため、戦前の日本軍の将校住宅があった磯野住宅の一角に米軍ハウスを建ててジョンソン基地に貸しました。高額な家賃を支払われるということで、基地周辺では当時こぞって米軍ハウスが建てられた。いわゆる民間誘導型の整備です。

磯野達雄さんは、1966年に磯野商会の社長に就任後、磯野住宅の再生を検討され、2004年に建築家の渡辺治さんが加わり、よい住宅地にしていくための改修と建設が始まりました。それにしても、よく50年前の住宅を残そうと考えましたね。

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磯野商会代表取締役の磯野達雄さん。米軍ハウスのへ熱い思いがジョンソンタウンを実現させた。

達雄 それは米軍ハウスという資産があったからです。この地域では犬も歩けばハウスに当たるというぐらい、かつては米軍ハウスがいっぱいあったんです。子どもの頃、父と一緒にハウスを訪ねると、兵隊さんが手招きして家に呼んでくれて、ケーキやお茶をご馳走になったのを覚えています。

私は長らくメーカーに勤めていたのですが、アメリカ東海岸に駐在したことがあり、そのときの民間の住宅地のイメージがまさに米軍ハウスと重なるものでした。思い出の家なのです。

それが、日本が経済成長していくなかで、どんどん壊されていった。土地の所有者は民間人でしたが、彼らは二階建ての賃貸用アパートに変えていきました。何もせずにいたうちだけ、たまたま残ったのです。

— 現在では、名前の由来であるジョンソン基地という存在を知らない人も多いと思います。ジョンソンタウンのウェブサイトでは、地域の歴史も紹介されていますね。

達雄 当時の地元民は単に「ハウス」と呼んでいて、入間では現在でも米軍ハウスを懐かしむ方々はいますが、反面、多くの住民は、戦後、米軍に接収されていた当時の歴史を忘れています。

図書館や博物館を調べても、その当時の資料が大変少ない。基地の街の負のイメージ、負の記憶を忘れたいという、無意識の顕われかもしれません。私のところにだけ米軍ハウスがまとまって残っているのなら、壊さずに、米軍占領下の入間の形見として、残すべきではないかと考えました。

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ジョンソンタウンのウェブサイトには前史として地域の歴史が詳しく語られている。

アメリカンを目指したわけではない

— ジョンソン基地から米軍が撤退してからは、日本人が住むようになったものの、老朽化が進みスラム化していたと聞いています。

達雄 私の就任当時は、荒れ果て、入居者も高齢化していました。家賃は安く、滞納も多かったです。ひどい住居環境で、綺麗にしなきゃいけないと思いました。

全部壊して、更地にして開発するのも一つの手でしょう。でも賃貸住宅なので、現在そこに住んでいる人たちに転居していただかなければなりません。その整理は大変なので、まず現況を残しながら、順繰りに綺麗にしていこうと考えました。

— 米軍ハウスは一切壊さず、改修して保存する。他方、朽廃同様の戦前築の日本家屋は逐次取り壊して、米軍ハウスのDNAをもった平成ハウスに建て替えました。昭和の時代築の米軍ハウス対し、こちらは平成の時代に建てたので平成ハウスと呼ばれるのですね。街路や広場を整備し、住宅と店舗約80棟からなる街に生まれ変わりました。

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アメリカで学び、アメリカの田園都市に住んだ経験がある渡辺治建築都市設計事務所の渡辺治さんと磯野商会との出会いが、再生プロジェクトを動かす。

渡辺治(渡辺治建築都市設計事務所) 磯野住宅をどうすればいいか、磯野社長が専門家に相談するうちに私に声がかかり、プロジェクトに参加しました。はっきり口に出される前から、社長は残したいと思っているのを感じていました。

アメリカンな感じにして商業的に成功したのだろう、と見られがちですが、そんなことはまったくなく、インクルーシブな街づくりをしたかったんです。磯野商会は、昔から障害者の団体に一棟貸しするなど、社会貢献活動に力を注いできました。地域とよい関係を築いてきました。その街への貢献や歴史をつないでいきたいと考えたのです。私が住んだアメリカの田園都市は、子どもの貧困やDV、ニグレクト(ネグレクト)などの社会問題を解決するためにつくられた街でした。

— でもこれだけの広さのある土地ですから、壊して、大規模な開発を薦めてくる人も多かったのでは?

渡辺 みんなから、更地にしてマンションにする方がずっと儲かると、口を揃えて言われたそうです。ただわれわれは、ボロボロになった建物を改修する経験を積んでいたので、改修するのは大変だけど、実は安くできる方法もあることを知っていたんです。

施工者は改修だと手間ひまがかかるので、建て替えたい。普通の建築家も改修だと大変、かつ自由に設計したいので、同様に薦めるので、一筋縄ではいきません。古い建物を維持するのは、簡単じゃないんです。

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磯野商会常務取締役の磯野章雄さん。祖父から三代続いた土地は、賃貸での街づくりで活性化した。

磯野章雄(常務取締役) 私には父のような思い出もなく、最初は更地にして建て替えた方がいいと思っていました。2000年代になっても、この辺りにはまだ下水道が整備されていない場所もあり、大雨が降ると汲み取りトイレに雨水が流れ込み、汚水が溢れ出て逆流し、浮かんでくることさえあったのです。根本的に新しくすべきだと考えていました。

— 建て替えのタイミングで、下水道のインフラも整えることになったのでしょうか。

章雄 市と交渉して、まだ汲み取りトイレだった家屋の下水道化を条件に、本管は市で入れてもらい、建て替えしながら少しずつ、下水道化率を高めていきました。

渡辺 一般道までしか公共の整備は入りません。ここの敷地内は一部を除きほとんど私道ですから。しかも大規模開発にかからないないようにして改築、新築を行ってきたので、インフラでは公共の整備からは取り残されていました。通常は一挙に壊して整備するところですが、改修や建て替えにあわせて、本当に一つひとつ下水道も改修し、雨の度に水浸しになっていたので、雨水浸透能力も高めていきました。

米軍ハウスにはファンがいる

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居住用に改修された米軍ハウス。壁面に長い板材を横に重ねる「下見板張り」がこの地域の米軍ハウスの特徴で、平成ハウスにも採用した。米軍ハウスの窓は当時の大工のデザインで、引違形式の和風だった。

達雄 米軍ハウスというのは、アメリカ北東部の住宅をモデルに、GHQが指示してつくらせた建物です。床は段差がなく、土足で家に入るとすぐリビングがあり、玄関もない。基本的に窓が小さく風通しは悪い。日本の気候や風習に対応しておらず、そのままでは住みにくいのです。住宅難だったから我慢して住んだ人や、アメリカ指向の若者が住んだりするぐらいでした。

章雄 そのような状況なのに、米軍ハウスにはファンがいて、借りたいとわざわざ遠くから訪ねる人もいました。

達雄 全部で3~4人、訪ねて来られましたね。画家の方もいました。こんな古いところのどこに魅力があるんだろうかと思いましたら、アトリエにしたい、汚してもいい、自由な広々とした雰囲気がとても気に入った、と言われました。

米軍ハウスには価値があるんだと、あらためて気付かされましたね。この経験は、残す気持ちを後押ししました。

土地の取得費をゼロとして考える

— ゆったりとした空間がジョンソンタウンの魅力の一つです。賃貸でこの豊かさは、驚きです。

達雄 日本の住宅だと通常は2、3軒ぐらい建てるような敷地に1軒だけ建つといった、土地をもったいない使い方にしているんです。そして家と家の間には、塀をつくらず境界線を曖昧にしています。みんなうちの土地ですからね、それでいいじゃない(笑)。

戦前の土地が安かった時代に取得した土地です。再生にあたり、土地の取得費はゼロとみなして、採算ラインを考えました。

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すべて磯野商会の私有地であるため、建物同士を区切る必要がなく、塀や門がない。境界線がないことが、空間に豊かさをもたらしている。

— だから賃貸として成立できたのですね。土地代を計上したら、分譲しなくては採算がとれないでしょう。それは他に類をみないですね。

達雄 そこに商店も入った賃貸住宅の街は、調べたなかではほかにありませんでした。それも、魅力になっています。

渡辺 アメリカ建築家協会(AIA)が視察に来たときに、「このコミュニティはアメリカにもない、すごい」と言われました。アメリカではゾーニングの規制があり、ここのように住宅地に商業を混在させることができないのだそうです。

予算がないからできたブリコラージュ

渡辺 ともかく、予算がなくてカツカツだったから、できたこと。コストを削り、コスト性能を求めた努力が、この雰囲気を生んでいると思っています。とにかくよい意味で飾り気がない。

元からあるものを生かし、廃材を捨てずにテラスに敷き詰めたり、瓦を再利用したり、本当にコストを意識しながら創意工夫した設計、街づくりでした。反対に、予算が潤沢でゴージャスな賃貸にでもしたら、こんな街にはならないでしょう。嫌味な感じが出たかもしれません。

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休日になると、タウン内のカフェやレストランに、多くの客が訪れる。

— 結果的に、ブリコラージュ的な手法となり、意図したデザインからは生み出せないような多様性と懐の深さ、余白を空間にもたらすこととなりました。

達雄 渡辺先生はとにかくコストダウンに努めてくださったし、ジョンソンタウンを残したいという思いで、商売抜きでやってくださった。綺麗になっていくのはおもしろいことで、私もしょっちゅうここに来て、作業していました。

章雄 社長のポリシーは「使えるものは使う」。昨今では常識にになってきましたが、それを20年前からやっていました。解体業者を入れるとできないような、手間のかかる廃材利用までしています。社長自ら、材料を調達したりしていました。

達雄 当時はまだみんな、ものを無意識に捨ててしまっていましたが、私は昔の資材の方が人件費より高い時代の人間ですから、もったいないので捨てられない。だから何でもかんでも取ってあって、使いもしないゴミを貯めていると従業員に言われています(笑)。

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ジョンソンタウン内にある管理棟には、使用されていた蛇口など、さまざまな部材が保管されている。

達雄 コストを下げるために、工事の責任者を雇い入れました。普通ならば外注するところを全部、自分たちでやっています。

渡辺 米軍ハウスを建設した会社に勤務していた白石浩二さんに、来ていただいたのですが、非常にセンスがよく、絵も描ける、一級級建築士でした。

達雄 白石さんはとても喜んでやってくれました。私とも美的な価値観が近かった。この出会いがなかったら、ここまでは来られなかったでしょう。

渡辺 磯野商会は、自ら発注して部材を取り寄せて、大工につくらせるわけですから、まさに工務店の役割も担っていました。それでコスト削減を実現したのです。

古いものの価値を残すデザイン手法が必要

渡辺 実はわれわれが一番苦労したのは、古いものをどう直すか、ということでした。例えば、撮影会社などからは錆びたところにペンキを塗らないでください、と言われます。古い素材に価値を見出す人は多い。それは、時の流れだけがつくれる素材だから、人為的につくりようがないのです。時がつくる素材には、価値があるんですね。

ところが、戦後の日本は、どんどん消費して捨てて、新しいものを買う文化を続けてきた。だから古いものを改修して使い続けるための技術が確立されておらず、苦労しました。

時がつくった価値をどう残すか。朽ちたものをどう強くするか、どう改修するかというデザイン手法は、これから絶対に必要になるでしょう。

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錆びたサインやドラム缶もあえてそのまま。時のつくる変化が、この街を彩る。

コスト性能優先でデザインが決まる

渡辺 基地内の米軍ハウスは、GHQが日本人のデザインチームに、最小の部材で最大の空間が得られること、豊かな街並みをつくること、工期が最短であることを条件に、コスト性能優先でつくらせたものです。それは米軍ハウスそのもののDNAと言えます。

こちらのハウスは民間誘導型で異なりますが、同じような価値観に基づきつくられています。屋根は屋根職人が滑り落ちず、仮設が不要な勾配とし、意匠を優先して決めたりしない。とにかくコスト性能が最優先です。でも、結局、合理的な建物はシンプルで美しく見える。私たちもそのDNAを受け継ぎ、現代の合理的な構造、素材、部材を使って未来の標準設計のつもりで平成ハウスを考案しました。

— 米軍ハウスの改修は、どのように進めたのでしょうか。

渡辺 本当にオンボロだから、どうやったら住める家にできるか、答えを導き出すまでには時間がかかりました。でもコスト性能優先で考えているときに、いいアイデアが浮かぶものなんです。

最終的には、ジャッキアップして、基礎を打ち直し、腐っていた土台や柱を全部取り替え、構造も補強しました。床下や壁などにウレタン発泡の断熱材を入れ、断熱性能もかなり高め、現代の新築よりも性能を引き上げました。

平成ハウスでは、フローリングを省き、スラブ*に床暖房のパイプを直接埋め込みました。フローリングのコスト削減分で、床暖房を整備できました。コンクリートの床は店舗に転用しやすくなったり、犬を飼えるなど、空間の自由度が広がりました。

また入居者の希望を聞いて設計し、内装に関してはリノベーションの要求にも応じ、場合によっては柱を取り、間仕切りも変えるなど、柔軟に対応しています。ここまでやる家主はまずいない。それぞれが、違う世界をつくっていくのです。だから統一感がありながらも、バラエティに富んだ街並みになったのです。

*床版。コンクリート造建築の床を支える構造床。

デザインのポイント:私有地内の管理を行い、子どもから高齢者、障害者まで誰もが安心安全に住むことができる街にしている。古い家の改修と新しい家を建設するとともに、路上や広場などに滞在できる場をつくり込むことで、コミュニケ—ションを促している。子育てしやすい街、夢を実現できる街、高齢者や障害者も住んで働ける街となった。

管理して、理想の街へ

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達雄 今の日本では景観に対する規制がなく、住宅の屋根の色や形はバラバラです。戦前は、黒い瓦の日本家屋が街並みをつくっていました。建築素材がほかになかっただけかもしれませんが。今は何でも自由にできるのが日本の特徴なので、街並みはてんでんばらばらです。

せっかく設計家が設計した住宅地も、住む人により、バラバラになっていってしまうのです。一定の家並みがあるから、景観が保てる。緑や花や庭も必要です。そうでないと、魅力あるタウンにはならないのです。

入居してからが大切なので、私どもは、住人サービスと管理のために敷地内に事務所を設けているのです。折々で、私たちの方針をお伝えしています。

渡辺 いろいろな相談やクレームに常駐して対応してきた。

— 建てて終わりではなく、暮らしていくなかでの問題に応じているから、街並みが維持できるのですね。

唯一無二の賃貸住宅街、ジョンソンタウン。建物のデザインだけでなく、コミュニティをデザインすることにも力を注ぎ、それが子育て家族、クリエイター、高齢者、障害者など、さまざまな人々が集う街づくりのベースとなっています。後編ではインクルーシブな街づくりについて伺います。

後編はこちら


ジョンソンタウン

株式会社磯野商会 / 渡辺治建築都市設計事務所

荒廃していた米軍向け住宅地を賃貸住宅地として再生させた。土地所有者と設計者の強い意志のもと、外装は米軍ハウスと平成ハウスからなる建築群の統一したイメージを保ちつつも、内装は住人の希望に応じて大胆なリノベーションを行い、理想的な住居環境を追求している。バリアフリーに配慮し、社会福祉法人と協力するなど、インクルーシブなまちづくりを目指している。その方向性を共有した人々が集うことで、店舗や活動が表出し、独自のまちなみとライフスタイルをつくりあげている。


受賞詳細
2021年度 グッドデザイン金賞 まちづくり「ジョンソンタウン」 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e5e871f-803d-11ed-af7e-0242ac130002?years=2021

プロデューサー
株式会社磯野商会 磯野達雄/磯野章雄

ディレクター
株式会社磯野商会 磯野達雄/磯野章雄 渡辺治建築都市設計事務所 渡辺治

デザイナー
渡辺治建築都市設計事務所 渡辺治/川合麻美/斉藤美幸/大沢裕美/前亜里紗/坂本紀恵


石黒知子

エディター、ライター

『AXIS』編集部を経て、フリーランスとして活動。デザイン、生活文化を中心に執筆、編集、企画を行う。主な書籍編集にLIXIL BOOKLETシリーズ(LIXIL出版)、雑誌編集に『おいしさの科学』(NTS出版)などがある。


白石ちえこ

写真家

町主催のモノクロ引き伸ばし講座を受講したのがきっかけで、写真を始める。写真家助手を経て、暗室で作品制作をしながら雑誌等の撮影を中心に活動している。