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グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

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この記事のフォーカス・イシュー

共生社会の構築

寛容を導くデザインの可能性

2017.12.31


共生は幅広い意味に捉えうるが、ここでは差し当たって人や人の集合に限定する。2017年度の受賞作に見られたアプローチを3つに分けて、「共生社会の構築」の観点からデザインの可能性を考えていく。

既存の社会システムがフィットしない人のギャップを埋める

仮に社会にマジョリティとマイノリティがいるとして、多くの場合、社会システムはマジョリティに合わせて作られるから、自ずとそこにフィットしない人々が生じる。そのギャップを埋めるのは、デザインが得意としてきたことだ。

2017年度の受賞作でも、障碍者、高齢者、外国人、買い物弱者などが抱える社会システムとのギャップを埋めていく作品が目に付いた。上肢障碍者や介護度の高い人のためのテレビリモコン「Panasonic レッツ・リモコンAD、ST」のようなプロダクト、通話相手の発話内容がスマートフォン画面上で閲覧できる「みえる電話」のようなサービス、発達障碍や精神障碍をもつ人に短時間でも働くことができる場を提供する「ショートタイムワーク制度」のような仕組みなど、ジャンルは多岐にわたる。どんなジャンルで現れるにせよ、単なる「美しい意匠」や「正しいプロジェクト」にとどまらず、問題の発見から人への届き方まで一連の過程がデザインされているのがグッドデザインたる所以である。

他者を知る

そうしたギャップはマジョリティ側からは見えにくい。しかし、気付かないままマイノリティ側の個別の調整に任せるだけならば、共生社会への道のりは遠い。前述したのがマイノリティのためのデザインだとすると、マジョリティの視点を変えるデザインも共生社会構築のデザインと言えるだろう。

他者に対する「怖い」「かわいそう」といったラベリングは、自分の立つ地平から相手を切り離す、共生の否定だ。しかし、もう少し解像度を上げれば、相手のことを自分の関心に引き寄せられるような豊かな多様性が見えてくることも少なくない。タイのスラム発のライフスタイルブランド「フィームー・クロントイ」のデザイナーは、なぜあんな危ないところへ行くのかと言われながらも、スラムの人々の作る環境の面白さに惹かれ、スラムの人々を巻き込んでアクセサリーやバッグなどのプロダクトを製作する。プロダクトを手に取る人の「怖い」「かわいそう」を「美しい」「格好良い」に転換して、共生に一歩近づけるデザインだ。

災害被災地もただ哀れむ対象ではなく、本来それぞれが魅力的な個性をもった地域である。「熊本城 組み建て募金」「ブルーシードバッグ」「ゆりあげ港朝市」などは、いずれも「かわいそう」の先に「楽しい」「格好良い」「美味しい」を見出し、被災地と非被災地を分けるような見方を変え、共生を促すデザインと言える。

異なる者との共生が当たり前になる

さて、実際のところ、何がマジョリティで何がマイノリティなのかは定かではない。自分がどちら側にいるのかは容易に移ろう。人はそれぞれに異なる。だから、声高に絆を叫ぶ前に、社会には多様な人がいて自分とは能力や意見や嗜好が異なる人も多い、という当たり前のことを認識できることこそ大切なのではないか。都市や地域は本来的に多様な人々を受け入れる寛容な器であるが、その本来性をデザインによって実現するのは容易ではないというのが私の印象だ。デザインのもつ合目的的性格が、そのことを難しくしているのかもしれない。

しかし、2017年度の受賞作には可能性を感じさせるものがあった。年齢、障碍・疾病のあるなしに関わらずあらゆる人びとが「ごちゃまぜ」の福祉 ・地域交流施設「B`s・行善寺」だ。高齢者デイサービス、障碍者生活介護、保育園、内科クリニック、天然温泉、食事処、ジム、温水プール、フラワーショップなどが中庭を囲んで緩く集まる。さらに、施設全体が障碍者の就労支援の場となっている。主体は社会福祉法人だが、従来の公共空間がもっていたのと同じような共生社会を可視化する機能をもっている。

自分の理解を超えたものと共に生きるのは、ストレスでもある。だから、技術や仕組みの革新が日常生活に入り込み利便性が高くなるほど、人はストレスの源を避け、気に入ったものや情報に囲まれて生活するようになる。SNSには共感できる言葉や写真ばかりが表示され、理解しやすい本やニュースを薦められ、イベントには○○系の人が集まる。次第に異なる者たちがいない世界が見えてくる。その先にあるのは、想像力の縮退した貧しい世界だ。「共生社会の構築」が大事なのは、誰か特定の人のためではなく、そこにこそ豊かさがあるからではないだろうか。

一人ひとりの近視眼的な快適さを目的とするだけのデザインでは、共生社会の構築は覚束ない。「B`s・行善寺」の大らかな楽しさを人に届けるデザインはひとつの希望だが、一方で共生社会の解体に向かっているようにも感じられる現在、共生社会の構築のためにデザインにできることは何か、それを考えるべきときではないだろうか。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/9dda09ec-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de63fcb-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de68be0-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de72910-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de8be30-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de7079f-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9de70d62-803d-11ed-af7e-0242ac130002

伊藤 香織

都市研究者 |東京理科大学 教授

東京生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。東京大学空間情報科学研究センター助手を経て、現在東京理科大学教授。専門は、都市空間の解析及びデザイン。特に公共空間と都市生活の関わり方に着目する。2002年より東京ピクニッククラブを共同主宰し、国内外の都市で公共空間の創造的利用促進プロジェクトを実施する。シビックプライド研究会代表として『シビックプライド』『シビックプライド2国内編』(宣伝会議)を出版。 *肩書・プロフィールは、ディレクター在任当時