この記事のフォーカス・イシュー
地域社会のデザイン
都市と地方、それぞれの地域社会の実相と未来
2019.12.31
地域をデザインすることは、そこに暮らす人びとの「生」を創造することだ。都市と地方、それぞれの地域社会の実相を見つめ将来を見据える取り組みから、私たちがこれから進むべき地平が見えてくる。
社会問題の先端的な解決策が生まれる
近藤 地域社会をデザインするという考え方で大事なことは、外から無理に何かを持ち込むというよりも、まずはその地域にある資源をいかに活かし、つないでいくか、ということでしょうか。一過性のものではなく、その地域らしいモノやコトを持続可能な形でデザインしていくこと。また、伝えるときには焦点をある程度絞り込み、人が楽しく感じられるように最も伝わりやすい形を考えます。
山出 その人自身が、つまり、ひとりが幸せになれるかどうか、ということが私たちの活動では価値として大きいですね。地域は特に、顔が見える関係性を必要としています。私たちはレジリエンスを強化する社会関係資本をつくることが使命だと思い、そのために必要な人・もの・ことが出会う場をつくるようにしています。それが私たちにとってのデザインで、これは価値だということを伝えるだけではなく、関わる人たちがそれぞれに価値を見つけ、いろんな可能性がそこから飛び立つようにと考えています。プロジェクトを生み出すには、大きなビジョンを描く構想力と、課題を拾い上げるキュレーション力と、既存のものを組み替えて社会に提案する編集力が必要です。その中でいま、ますます求められているのが編集力だと思います。無駄に大きくせず、お金をかけず、時間もかけず、いまあるものを組み替えて、ひとまずリリースして、実践の中で編集し直して、必要とされるものにどんどん近づけていく。だからプロトタイプ、過渡期のものではあるのですが、それでいいと思うのです。
近藤 私も編集力ということにまさに同感で、そこに循環を生み出すことがポイントなのかなと思います。今回の審査では、点と点をつなぎ、循環を生み出すようなデザインが目立ちました。[チョイソコ]は人や拠点という、すでにそこにあるものを活かしながら全体をデザインして、人もお金もうまく循環する形を生み出している。これまでのように直線的な拡大・発展を目指すのではなく、地域社会や環境の中でちゃんと循環していくことが、ますます大事になっている。こういうことを、先端的な技術というよりも、既存の技術をうまく組み合わせながら皆の手に届くものとして安価に実現しているところに感心しました。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e0cad2b-803d-11ed-af7e-0242ac130002水平なつながりの中で
山出 [かがやきロッジ]は、在宅医療の普及のためには地域づくりが必要だとクリニックを地域に開き、定期的にイベントを開催しながら、参加した人が自分のやりたかった企画を持ち込めるようにして、地域の人と医療側の人、あるいは地域の人同士の交流や信頼関係が育まれる場所をつくっています。これはキュレーション力があると見ることができます。また、訪問介護にあたっている現場の人たちが、現場で得た情報や知識を、自らの判断で自主的に活用するやり方は、上から下へ指示を伝達する方法とは違う、水平的な活動の仕方です。地域包括ケアは本来、水平的であるべきなので、理想的な形だと思います。
近藤 デザインというのはデザイナーの視点ありきで捉えられることが多いものですが、これは徹底したボトムアップによるプロジェクトとして着目しました。ここで働いている人たちは、地域の人たちが何を本当に必要としているのか、まず地域の観察から始めている。そうして地域のリアルなニーズを拾い上げ、それをベースに建物をつくっているから、リビングやオープンキッチンなどからなるコミュニティエリアは、オフィスの3倍の広さがあるそうです。ニーズに即しているから、多様な地域の人たちがここに定期的に通う循環も生まれている。私が学んでいるパーマカルチャーも観察から始まり、さまざまな要素の、その特徴を活かしあえる関係性をデザインするものです。それが[かがやきロッジ]にも[チョイソコ]にも見られるように思います。[願いのくるま]も、求められるものに対して、人それぞれの得意技を組み合わせて1本の線にして応えているのが印象的でした。
山出 [願いのくるま]は継続性の点で、いまはまだビジネスモデルとしては未完成ですが、素晴らしい取り組みだと思います。まもなく最期を迎える終末医療の患者の願いを叶えるために、それぞれの人が自分のできることを行う。一人ひとりに向き合う社会を大切にしていること、そして、それに対して勇気を持って一歩前に踏み出した人がいることを評価したい。
近藤 これは、どういう死に方をさせてあげられるか、つまり人の最期をデザインしているものですよね。[igoku]もそうですが、今回は高齢者を対象とするデザインが多かった。まさに人生100年時代を最期までどう幸せに生きられるかというデザインが実践として現れていて、希望を感じました。高齢者だけではなく女性や障害者を含む弱者の立場で、いままで見過ごされてきたことを解決する仕組みをつくろうというものも目を引きました。そうした中で飛び抜けていたのが[願いのくるま]で、海外の事例を参考にしたという点が議論になりましたが、[リビルディングセンタージャパン]も含めて、既存のいい仕組みやデザインを、地域に合わせて調整・改良するというやり方は否定すべきものではないと思います。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e1ebe2d-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e1ec0c1-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e1ef0ba-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e1ec950-803d-11ed-af7e-0242ac130002分断されていた関係をつなぎ直す
近藤 高齢者向けの活動は地味というか無難なものが多く、また、死というタブーに踏み込まないようにしているところがあります。その中でこれは、棺桶に入る体験を通して死というものを身近にする企画であったり、高齢者のファッションポートレートがあったりする。何よりいいのは、登場している高齢者の表情が、本当に楽しそうで、最期まで生き生きと暮らすことを全体で発信しているんですね。高齢者が最期まで楽しく暮らせるようにという取り組みは他にもありましたが、[igoku]はその伝え方と、タブーに踏み込んだ体験の設計が際立っていました。
山出 これは福島県いわき市という自治体が、地域包括ケアの一環として、行政主導で継続的に行っているのが画期的だと思います。この取り組みが他の自治体にも伝わっていくと、地域包括ケアのあり方も変わるところがあるでしょうし、終末医療の現場もオープンになり、その重要性が広く認識されるようになるでしょう。そこを広げた功績は大きい。
近藤 若手のデザインチームが関わっている点も評価しています。地域包括ケアのような社会問題や、高齢者が最期まで楽しく生きるということに、作り手も含め、若い人たちが目を向ける契機になる素晴らしい取り組みだと思います。また、子どもが高齢者や死というものにしっかり向き合える体験を企画しているのもいい。
山出 高齢者が棺桶に入る体験の映像を見ていたら、周りにいる子どもたちの顔つきがだんだん変わっていった。死という他人事が自分事になったからですよね。近代以降に人の見送り方が変わり、死というものを実生活から遠ざけるようになりました。死が生から分断したと言いましょうか。地域包括ケアはそれを取り戻そうとするものだと思います。
近藤 葬儀場がもっと身近な場所になるようにデザインした事例もありましたね。死というものをより身近に考えることで、自分が普段生きていることの意味を改めて考えるという、[igoku]はそうした動きの突端かもしれません。また、今回の審査では、障害者と一緒に行う活動も目立ちました。健常者と障害者、生と死、若者と老人など、近代化の過程で生まれてきた分断をつなぎ直すという試みがさまざまに行われています。今回の審査ではもうひとつ、多世代が集まる居場所の事例が多かったのも特徴的でした。近年急増している若い人だけが集まるシェアハウスではなく、地域にいる高齢者や主婦、子どもたちの交流が生まれるようにしようという事例で、社会の専門化・分断が進んだ中で、そうしたつながりを育む場所は今後ますます必要とされているのだと思います。
長期的な視野での循環型のデザイン
近藤 それらの事例の大半は、ビジネスとして大きな利益を生み出しているわけではないですが、そこに確かに生まれている人の滞留や循環にこそ、その場所の価値があるのだと思います。[1616/arita japan]も、プロダクトとして完成度が高いだけでなく、海外のデザイナーをはじめ、さまざまな人の交流や循環をプロジェクトに組み込んでいることが、常に新たな刺激をもたらして質を高めているのだと思いますし、そうした循環がビジネスとしても長期的に成果を出していくのではないかと思います。
山出 伝統工芸の産地は、産地としてまとまって強くなっていかないとブランドの維持が難しいわけですが、製造会社の横のつながりが意外にない。[1616/arita japan]はそのつながりを生む仕組みと捉えています。地方では横のつながりの大切さを特に強く感じます。そして、これも必ずしも新しい仕組みではないけれど、誰かが一歩前に踏み出さなければできないことでした。
近藤 長期的な視野での商品開発・事業計画も目を引きました。[スワダネイルクリッパー]は、てこ式爪切りの構造を革新したデザインも美しいですが、使い捨てではなく、メンテナンスをして長く使えるようにしたデザインが印象的でした。[1616 /arita japan]も、人が循環しながら長期スパンでブランドを育てていくことを射程にしているのではないかと思います。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e06188f-803d-11ed-af7e-0242ac130002 https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e037800-803d-11ed-af7e-0242ac130002誰のためのデザインか
山出 重要なのは、ビジネスモデルから考えようとしないことです。従来のプロダクトアウト型のビジネスモデルは、真のニーズをつかむことをしていません。特に他社製品との差別化を図ることを動機とした開発は、過剰さを増し、不要なものを生んできました。ビジネスモデルは、プロトタイプが社会から必要とされたときに生まれるもの。地域でいろいろな活動をやっている我々からすると、他の地域は順番を間違えているといつも思う。やっぱり、最初に切実なニーズがあり、それをどこまで他人事ではなく自分事にできるかが大切で、それが本当にいまの社会で必要とされていれば、やがてビジネスになっていきます。そう考えると、この人を幸せにしたい、笑顔にしたいと、顔の見える相手をイメージすることが大切だと思うんです。そして、プロトタイプでいいからどんどん世の中に出して、使われて改良していくことを繰り返していけるかどうか。見た目の美しさやかっこよさはその過程でブラッシュしていけばよくて、まず必要なのは、世の中をどうしたいか、幸せをどう取り戻すかという意志です。地域限定や狭い範囲での課題解決でも構わない。広がっていけば、分断を超えた解決策になっていくかもしれませんから。
近藤 同感です。まさにいま、これまで既存のレール上で売上の拡大を目指して差異化を競ってきたビジネスのあり方そのものが、環境面や人の幸福という面でも問題を生んできた中で、大きな転換点を迎えているのだと思います。だからこそ、それはほんとうに必要なのか? ほんとうに人を幸せにするのか? という強い想いやビジョンを元にしたデザインこそが多くの人の共感を生み、ビジネスとしても成功する時代になっているのだと思います。
近藤 ヒデノリ
クリエイティブプロデューサー、キュレーター / 株式会社博報堂
博報堂入社後、CMプランナーを経て、NY大学修士課程で現代美術を学び、復職。「サステナブルデザイン」を軸に、持続可能な生活文化創造や社会課題解決に関わるブランディングが専門領域。主な業務に、いろはす、EARTH MALL、ヤフー、JKA、江戸東京博物館など。編著に『INNOVATION DESIGN』、『都会からはじまる新しい生き方のデザイン』など。地域共生の家KYODO HOUSE主宰。 *肩書・プロフィールは、ディレクター在任当時
山出 淳也
アーティスト|NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事
アーティストとしての活動を経て『混浴温泉世界』(2009〜2015)、『in BEPPU』(2016~)総合プロデューサーなど、文化芸術に関する事業のプロデュースや企画運営を多数手がけるほか、行政や企業、地域の課題をクリエイティブな視点で解決するための多様な取り組みを実践する。著書に『BEPPU PROJECT 2005-2018』(2018)。平成20年度 芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。 *肩書・プロフィールは、ディレクター在任当時