focused-issues-logo

グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

thumbnail

この記事のフォーカス・イシュー

まなざしを生むデザイン

面倒くささや曖昧さを、あえて残す。「置いてけぼり」にされた他者へのまなざしをデザインする

2022.03.28


見落とされた存在に、まなざしを向ける

これまで我々の社会は、とにかく成長を目指して走り続けてきました。その結果、社会変化のスピードがどんどん速くなる一方で、見落とされる存在が生まれているのではないか──私はさまざまな福祉関係のプロジェクトに取り組むなかで、そう感じるようになりました。

コロナ禍を契機にこれまで通りの右肩あがりの経済成長を続けることが難しくなり、私たちは立ち止まることを余儀なくされました。いま、「何に向けた成長なのか?」と、自分たちが向かっている方向を振り返る機会が訪れていると感じます。しかしながら、誰もが立ち止まって自分自身を見つめ直す余裕を持っているわけではありません。コロナ禍においても生活のために「立ち止まれない」人々がいることを、以前と変わらず弱い立場に置かれている存在がいることを、私たちは想像できているでしょうか?

例えば、障害者や高齢者、暴力を受けている子どもたち。あるいは、動物や植物、地球環境といった人ではない他者。こうした「置いてけぼり」にされがちな存在に、デザインはいかにしてまなざしを向けられるのでしょうか。いろいろなことに目を背けて死んだふりをしないようにするために、ふだんは見えない部分にまで想像力を持てるようになるために、デザインはいかにして寄与できるのでしょうか。

こうした問題意識から、私は2021年度グッドデザイン賞のフォーカス・イシューで「まなざしを生むデザイン」をテーマに設定。応募対象の中から、人が見えなくなってしまったものに気づき、支え、保つための実践にフォーカスし、探求してきました。思索を深めていくうちに、「まなざしを生むデザイン」に含まれる、2つの要素があるように思いました。

ポイント1:面倒くささを排除しない

まず、まなざしを生むデザインには、「面倒くささを排除しないこと」が重要です。面倒くささは、人々との接点や関係性を生み出すからです。

福祉制度からこぼれ落ちてしまった人たちのニーズをすくい上げたり、温室効果ガス排出の観点から問題視されがちな牧場が山と共存する方法を考えたり……。こうした観点は、機能性や効率性の観点でばかり思考していると、「面倒で費用対効果が悪い」と排除されがちです。しかし、この面倒くささにもしっかりと目を向けることで初めて、「置いてけぼり」な存在に気づくようになり、接点や関係性が生まれていくのです。

面倒くささに向き合い、まなざしを向けるためには、機能の充実度や効率の良さばかりを追求するデザインでは不十分。「置いてけぼり」な人々のことを想像し、寄り添ってフォローしあえるようになるための、「優しさ」をデザインするという気持ちが大切なんです。

例えば、熊本地震の被災をきっかけに作られた熊本県の銭湯併設の住宅「神水公衆浴場」もヒントを与えてくれます。オーナーである建築士の黒岩裕樹さんは、自らの被災体験をもとに、次の緊急事態に備えて誰にでも開かれた場所を提供するため、住居の1階を銭湯として開放しています。営利は求めず、地域のためにいざという時にライフラインとなる場所を提供し続けている。それは非常に「面倒くさい」ことですが、その手間が地域にセーフティーネットを生み出しているのでしょう。

神水公衆浴場は、営利を過度に追い求めないので、地域の人たちを単なる利用者として見ていません。だからこそ、「個人の住宅を公共のために役立たせる」状態が実現している。「店」と「お客さん」という関係だけではない、面倒くさい関係性を築いている。これによって、災害時に住民のみなさんが一致団結して活動することが可能になるはずです。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e59d620-803d-11ed-af7e-0242ac130002

ポイント2:二者択一の「あいだ」を探る

「まなざしを生むデザイン」においてもう一点重要なことは、二者択一の「あいだ」を探ることです。人は「Aに特化するか、Bに振り切るか」と、何かを得るために他の何かを犠牲にするトレードオフの考え方に陥りがちです。しかし、その二者択一の間の状態にこそ、見落とされてきたものがあると思っています。

審査の中で、出会ったロッテが開発した「とけにくいアイス ゆったりバニラ」は印象的でした。高齢者向けの施設で、食事に長い時間がかかる入居者には、アイスは不向きなデザートと捉えられていた常識を覆したこの商品。

アイスクリームにとって、「溶けてしまう」ことは大きな弱点です。しかし、弱点を克服して「溶けないアイス」をつくろうとすると、アイスクリームとは全然違う何かになってしまう。「溶ける」というアイスクリームの弱点を否定せず、「溶ける速度を変える」ことで、1か10かの中間である5をつくった商品だと言えるのではないでしょうか。

カチカチではないのですぐに食べられるし、ゆっくり溶けるのでその人のペースで楽しめる。この商品が生まれるまでには、途方もないリサーチが重ねられたはずです。高齢者の方々の元へどのようにアイスクリームが届くかを熟慮したうえで、視点をずらし、“溶けにくいアイスクリーム”という案にたどり着いたのだと思います。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e5e9d70-803d-11ed-af7e-0242ac130002

また、山に登る人たちがお互いを守り合う、会員制の捜索ヘリサービス「ココヘリ」にも同様の「あいだ」を感じます。このサービスには、行政の強い意思も、エンターテインメント性も、マスコミからの強い介入もありません。あくまで山が好きな人たちのコミュニティとして、助け合いの精神に基づき運営されています。

山では毎年たくさんの人たちが亡くなっています。その歴史の積み重ねから「ココヘリ」はボトムアップで生まれたもの。「助けを呼べば救助が来てくれる」という目的達成型のサービスではなく、人々の互助精神に依存し、かたちづくられています。山を登る人たちの中に、お互いが助け合うまなざしを生むサービスなのではないでしょうか。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/9e600286-803d-11ed-af7e-0242ac130002

「消費者」化に抗い、ケアし合う視点を持つ

面倒くささを残し、二者択一の「あいだ」を探る──これらの実践には、大きな労力を要します。ときに機能性や効率性を二の次にして、使いづらく、効率の悪いデザインになってしまうおそれもあるからです。しかし、それでも私は、今の社会には「まなざしを生むデザイン」が必要だと思っています。

アメリカの作家レベッカ・ソルニットは、著書『災害ユートピア』において、近代以降の歴史は「民営化」の歴史だと書いています。社会の中の多くの機能が民営化されてきた結果、市場やマスコミが人々の想像力を、個々人の生活や満足の中だけに閉じ込めてしまい、消費者的な市民を生み出しているというのです。

そして、消費者は私生活を楽に過ごすため、効率的・機能的に生きようとする。そうなると、他者の存在を常に気をかけてまなざすことは難しくなってしまう。「まなざしを生む」とは、市民を消費者へと変える圧力に、逆らうことなのだと思います。

民営化が効率的・機能的に世界を変える過程で、弱い立場に置かれている存在や、生活のために「立ち止まれない」人々がいることに、意識的に目を向ける。例えば、コロナ禍においても、夜の仕事に従事する人たちを悪者扱いして切り捨てるのではなく、そうなった背景まで想像して、助け合う。いま私たちに必要なのは、こうして他者──それは必ずしも人間に限りません──を気にかけてケアし合う視点ではないでしょうか。

「神水公衆浴場」の営利だけを求めずコミュニティ形成にこだわる姿勢や、「ゆったりバニラ」の誰もが食べやすい体験設計は、見落としていた他者へのまなざしを思い出させてくれます。こうしたデザインが自然と世の中に広まることで、立ち止まれなかった人たちへの優しさと想像力が、養われていくはずです。


原田 祐馬

アートディレクター/デザイナー|UMA /design farm 代表

1979年大阪生まれ。京都精華大学芸術学部デザイン学科建築専攻卒業。UMA/design farm代表。名古屋芸術大学特別客員教授。大阪を拠点に文化や福祉、地域に関わるプロジェクトを中心に、グラフィック、空間、展覧会や企画開発などを通して、理念を可視化し新しい体験をつくりだすことを目指している。「ともに考え、ともにつくる」を大切に、対話と実験を繰り返すデザインを実践。著書に『One Day Esquisse:考える「視点」がみつかるデザインの教室』。 *肩書・プロフィールは、ディレクター在任当時