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グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

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この記事のフォーカス・イシュー

ちょうどいいデザイン

余白を残して、最後は委ねる。使い手への信頼が、長く暮らしを共にできるプロダクトを生み出す

2023.03.09


デザインの役割は、人と環境、技術との「ちょうどいい」関係を見つけること

グッドデザイン賞にフォーカス・イシューのディレクターとして関わることで、いまデザインが社会に貢献できることとは何なのか、改めて考える良い機会となりました。

デザインはまだ一般的には、物事を表面的に美しく整えたり、特別にすることのように思われることが多いですが、成り立ちを紐解くと必ずしもそうではありません。近代のデザインの歴史を辿ると、むしろその逆であったことが見えてきます。

近代デザインは、産業革命に沸く19世紀末のイギリスで産声をあげました。思想家のジョン・ラスキンと思想家で芸術家のウィリアム・モリスを中心に始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動」が、その源流と言われています。この運動は、機械生産によって粗悪な日用品や家具が大量に出回る事態に一石を投じ、中世ヨーロッパの伝統文化や美意識を取り戻そうとする、怒りにも似た運動でした。新しい機械生産技術を手に大量生産・大量消費に突き進む社会に対し、生活への美意識を掲げ抵抗することでバランスを取ろうとしたことが、近代デザインの端緒となったのです。

その思いは、1919年にドイツのワイマールに設立された教育機関バウハウスに引き継がれます。この頃には機械生産を積極的に受け入れた上で、人と環境と技術が、どのような新しい均衡を作れるかということが試行錯誤されました。現代に続くデザインの礎が、ここで形作られます。デザインは対象を特別にするためではなく、むしろ常に変化するテクノロジーや周囲の環境との「ちょうどいい」関係を発見し、調和させる試みとして始まったのです。

そんな理想主義的な出発点を持つデザインも、20世紀の後半には、次第に市場経済に取り込まれていきます。いつのまにかデザインは対象を差別化し、特別に見せることで、生活者の欲望を喚起し、消費を促す役割を担うようになっていきました。私を含めデザイナーがその片棒を担いできたことは、残念ながら否定できません。その背景には消費を増やし、経済を拡大することを良しとする、社会の前提があったように思います。結果的に、経済は大きく成長し、我々の生活は豊かになりました。しかし21世紀に入り、資本主義的にも地球環境的にも、これまでのように際限ない成長を目指すことへの限界が露呈しはじめています。

いま改めて、デザインが本来持っている「ちょうどいい」を具体化する力を、社会は必要としているのではないか。私がフォーカス・イシューで設定した「ちょうどいいデザイン」というテーマの背景には、このような問題意識がありました。

これからの「ちょうどいい」とは?

「ちょうどいい」は不変のものではありません。それぞれの時代によって、「ちょうどいい」は変わっていくものです。大量生産の黎明期にバウハウスが目指した「ちょうどいい」と、100年後の今では、目指すべき「ちょうどいい」は異なるはずです。

これからの「ちょうどいい」を考えるにあたって、オックスフォード大学の経済学者ケイト・ラワースが提唱する「ドーナツエコノミー」という概念が参考になるかもしれません。

ドーナツの絵を思い浮かべてみてください。ドーナツの真ん中の穴の部分、つまり内側の境界を、食糧や住居や教育といった、人間らしく生きるための最低限の社会基盤が満たされる下限とし、ここに届かないと、生活に不可欠なものが不足していることを意味します。一方でドーナツの外側の境界を、地球の環境的な上限とし、ここを超えると、地球環境が破壊され、気候変動が起こり、生物多様性が失われてしまいます。ドーナツエコノミーは、右肩上がりの経済成長を追い求めるのではなく、社会福祉を充実させつつも、地球の環境的な限界は超えない、つまり“ドーナツの中”に入ることを目指すべきだという考えです。これは言い換えれば、人間と地球にとって不足でも過剰でもない「ちょうどいい」社会を目指すことと言えます。

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偏りをなくすためのデザイン

では、どうすれば「ちょうどいい」デザインを実現することができるのか。今年のグッドデザイン賞の受賞作を見渡してみると、そのヒントがいくつか見えてきました。

ひとつめは偏りを是正するということ。

これまで見てきたように、社会問題の多くはドーナツの内と外、つまり不足か過剰かで起こっています。現代は飢餓とフードロスの問題が同時に起こるような不均衡な社会です。なんらかの理由でリソースが全体に程よく分配されず、偏りが生じている事例が多く見られます。遠くのニーズを繋ぎ合わせたり、リソースを分散させたりすることで流れを良くし、偏りを解消しようとする取り組みは、「ちょうどいい」社会を実現する上で非常に重要になるはずです。

例えば、HOWS Renovationの「国立の家」。野村総合研究所によれば、2033年には日本全国で2,000万軒が空き家になると予測されている一方で、毎年85万軒もの新築住宅が建てられています。「国立の家」は、中古住宅の可能性を引き出すことによって、このようないびつさを解消する可能性を持つプロジェクトです。

これまで、中古物件は「改装済み」か「スケルトン(内装・設備・間仕切り壁などをすべて取り払い、建物の骨組みだけを残した状態)」という2択がほとんどでした。しかし「国立の家」では、遵法性、耐震性や断熱性など、現在の住宅に求められる厳しい基準を満たすように計画し改修したうえで、スケルトン状態にして販売しています。ただの改装でも、ただのスケルトンでもない。新しい選択肢として提供することで、両方の利点を「ちょうどよく」取り入れ、中古住宅を社会資産として再生させているのです。

このような発想は家だけでなく、他分野でも応用が利くかもしれません。現在、欧米を中心に、購入した製品をメーカーを通さずにユーザーが修理ができる権利「修理する権利」に関する議論が活発化していますが、修理や改修をデザインにあらかじめ組み込んでおくことで、過剰な生産や廃棄を助長する消費サイクルを変えていけるかもしれません。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/11878

また、「ファストドクター」も偏りを分散させるデザインの好例です。これは夜間・休日の患者と医者を繋ぎ、持続可能な地域医療を実現する医療プラットフォームです。高齢化で独居世帯が増えたこともあり、救急要請の中には、搬送不要な軽症利用のものも少なくありません。その結果、本当に重症な患者への対応に遅れが出てしまうことが社会問題となっています。地域医療の受け皿となるかかりつけ医は、24時間の往診対応を求められ、医師への負担も増加しています。ファストドクターは、夜間・休日にオンライン診療や往診をして、かかりつけ医を支援します。分業と連携によって医療サービスを分散させることで、患者にとっては診療の選択肢を増やしつつ、医療体制に過度の負担が掛からないデザインが施されています。

さらに、都市部に集中しがちな診療リソースを医師が少ない地域へオンラインで分配し、訪問看護と併用しながら医療提供を行うサービスも手がけはじめています。場所に縛られないデジタルの利点を活かし、医師不足によって医療へのアクセスが難しい地域にも、適切な医療を届け、都市と地方における医療の偏在をなくす未来を目指しているのです。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/8426

売り場でのインパクトではなく、長く共に過ごすためのデザイン

「ちょうどいい」を実現する上でもう一つ重要になる視点は、デザインする際に考慮する時間軸の長さです。

デザインが本当に「ちょうどいい」かどうかを判断するには、時間がかかります。売り場にのみフォーカスを当てたデザインはもちろん、一見、問題を解決しているように見えるものでも、長い目で見ると、別の問題を引き起こしていることもしばしばあります。「ちょうどいい」デザインは、短期的な成果を求められる経済活動の中で、強い意思を持って長い時間軸を見据えたデザインとも言えます。

SNSが普及する以前の社会では、企業は消費者のリアルな声を追うことが難しく、購買データを中心にプロダクトの成否を判断せざるを得ませんでした。そのため、デザインは売り場で消費者の目を引き、一目で商品特徴を伝えることで、説明コストを下げ、販売に貢献することを求められてきました。

しかし、いまはSNSを通じて、購入後の実際の使用者の声が可視化され共有される時代です。コロナ禍を経て、物の購入の仕方も変わりました。ネット販売がより一般化し、企業のウェブサイトを読み、レビューを見てから購入を決めることも多くなっています。売り場でのインパクトだけでなく「どのような考えで作られているか」、「生活の中できちんと機能し、使い心地がよいか」など、長い時間軸でデザインが評価される土壌ができてきました。

無印良品の「はじめての文房具シリーズ」は、子ども向け文房具にありがちな、強い装飾がありません。店頭でのインパクトは少ないかもしれませんが、生活時間の中で見ると、子どもたちそれぞれの使い方を受け止める自由さが、デザインを使いやすいものにしています。装飾を無くすことで抑えられた価格は、近年深刻な問題となっている教育格差の解消にも貢献できるかもしれません。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/9685

グッドデザイン金賞を受賞した「日立 コードレス スティッククリーナー」も、素晴らしい事例です。製品本体の外装や付属品に再生プラスティックを40%以上使用し、塗装や印刷を極力なくすことによって環境負荷を下げることに成功しています。掃除機が行き渡っている先進国においては、掃除機は先述の「ドーナツエコノミー」で言う「ドーナツの下限」を満たすには十分高い性能をすでに持っています。そうであるならば、より環境負荷を下げる製品の開発を目指すことは理にかなっています。

これからは製品だけではなく、企業哲学や社会・環境問題への姿勢など、これまで店頭では見えにくかった部分がより可視化されていくでしょう。サプライチェーンの全ての点で、信念を持って意思決定を行なっている会社は尊敬を集め、強いファンコミュニティーができ、結果的にビジネスの成功にも繋がっているところが多いように見えます。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/12136

受け手に委ねる「余白」が、「ちょうどよさ」を生み出す

ここまで、今回フォーカスイシューのテーマとして掲げた「ちょうどいいデザイン」を実現するためのヒントとその事例について見てきました。「ちょうどいいデザイン」を実現するためには、空間的にも時間的にも、これまで以上に遠くまで見渡しながら、デザインの対象をドーナツの中に入れる努力をすることが重要です。そのためには、さまざまな視点を持った多くの人を巻き込んでいくことが大切でしょう。さらには、地球の裏側に住む人、人間だけでなく他の生物など、一見目の前の問題と繋がりのなさそうなことにも、想像の触手を縦横に伸ばしながら巻き込んでいく、そんな好奇心と柔軟さが、次の「ちょうどいい」デザインを生み出していくのではないかと思います。

一方で「ちょうどいい」は身体的で私秘的な感覚でもあります。身体に染み込むような「しっくりくる」感覚は言語化や共有が難しいものです。プロダクトが身体や生活の風景に馴染んでいるか、空間のディテールが穏やかで収まりがよいものになっているか、体験の流れに違和感がないかという言語化しにくい身体感覚が、最終的なデザインの質を大きく左右します。「ちょうどいい」を作るアイデアを社会に実装させ、多くの人々に受け入れられるためには、上空から俯瞰する目と、身体から発せられる小さな声を聞き取る耳を、同時に持ち合わせることが重要なのだと思います。

「ちょうどいい」という感覚が私秘的である以上、デザインには使い手の多様性を許容する余白を残しておく必要もあります。つまり相手に使い方や価値観を押し付けるのではなく、デザインに余白を残して、最後は委ねる。相手を信頼し、相手の自律性を尊重する。そもそも考慮する項目や時間が増えると、利害関係が複雑になり、簡単に解答を出すことが難しくなります。問題を解決するというよりも、もめごとを調停するように、さまざまな要因をはかりに乗せて、その均衡を探る感覚に近いのかもしれません。解答がドーナツの中に入っていることが重要なので、「ちょうどいい」には幅があってよいはずです。その幅が、余白となります。

先程取り上げた受賞作で言えば、「国立の家」は、住居の基本性能はしっかり満たし、住まい方は余白として使い手に委ねていることが「ちょうど良さ」を生んでいますし、無印良品の「はじめての文具シリーズ」も、 デザインに余白を残すことが、子供の多様な使い方を許容することに繋がっています。

豊かな余白を含むデザインは、淡々として、時に無愛想に見えるかもしれませんが、その余白こそが、受け止め方や使い方の幅を生み、多くの人にとって「ちょうどいい」ものにしてくれるのでしょう。広義のデザイン、狭義のデザインという言葉が使われて久しいですが、それらを分けてしまうのではなく、マクロな視点とミクロな視点が一本に繋がっている状態が「ちょうどいい」デザインを生み出すのだと思います。


鈴木 元

プロダクトデザイナー|GEN SUZUKI STUDIO 代表

英ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、デザインプロダクツ科修了。パナソニック株式会社、IDEOロンドン、ボストンオフィスを経てGEN SUZUKI STUDIOを設立。スタジオを自宅に併設し、生活とデザインを隔てないアプローチで、Herman Miller, Casper, Omronなど国内外の企業と協業している。IDEA賞金賞、GERMAN DESIGN AWARD金賞、クーパーヒューイット国立デザイン美術館永久収蔵など受賞多数。多摩美術大学、武蔵野美術大学非常勤講師。2021英D&AD賞プロダクトデザイン部門審査委員長。