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グッドデザイン賞で見つける 今、デザインが向き合うべき 課題とは

審査プロセスをとおして 社会におけるこれからのデザインを描く、 グッドデザイン賞の取り組み「フォーカス・イシュー」

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2023年度フォーカス・イシュー

Focused Issues Researcher's Eye

その社会課題を解決してはいけない – 中村 寛

2024.07.08

審査委員ではない外部有識者の立場から、すべての審査対象を見つめ、“うねり”を探ってきたフォーカス・イシュー・リサーチャー。3人それぞれの専門性や切り口から、審査プロセスに伴走する中で見えてきた気づきや視点について書いてもらった。 今回は、デザイン人類学者の中村寛が、解決すべき「社会課題」に直面したときに求められる「勇気」について考察する。 本記事は、2023年度フォーカス・イシューレポートにも収録されています。


治癒的(なおす)デザイン(therapeutic design)

2023年度フォーカス・イシューレポートの「視点⑤:生み出すのではなく《なおす》」のセクションでも詳述したように、幾人もの哲学者が、法の本質的機能は暴力であるとしてきた(*1)。法は、適用範囲内にある身体を縛り、拘束し、場合によっては死に至らしめることができる、というわけだ。「暴力」という言葉が強すぎたとしても、少なくとも法は、単なる文章群ではなく、ある種の行動を促し、帰結をもたらす《社会的力 social forces》だといえる(*2)。

けれども、肝心のその帰結は、必ずしも幸福なものになっていない。法によって救済・治癒されるどころか、逆にもっと傷つく人びとが出てくる。被害者、加害者、双方の家族、そして彼らのコミュニティや社会、誰も幸福になっていない現実がある。修復的司法(restorative justice、以下「RJ」)や、治療的法学(therapeutic jurisprudence、以下「TJ」)、それらを含む治療回復共同体(therapeutic community、以下「TC」)などは、そうした状況を改善しようとする試みである(*3)。

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人類学者、フォーカス・イシュー・リサーチャー 中村 寛

ワンネス財団による「生き直し」の取り組みは、「犯罪」や「問題行動」といった「社会課題」に対する、単純な意味での解決ではない。むしろ、「課題」をともに考え、捉え直していく、治癒的なコ・デザインのプロセスである。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/15603

その過程で伴走者は、「だりー」「死ね」といった発言や、物を壊し、すぐに殴りかかって相手を傷つけようとする行動の背後に、本人にすら捉えがたい「痛苦」や「生きにくさ」を読み取る。そしてその際、自らも生きづらさを抱え、場合によっては「前科」があって生き直しを経験してきたからこそ、「他者」の痛苦や、ときに暴力的になる言動を、深く、やわらかく、受け止めることができる者が、傍らにいるということが肝要なのだ(*4)。

2023年度、ワンネス財団のようなTCがグッドデザイン賞に出展してきたこと自体、時代の流れを反映してもいる。今回の受賞が、TCやTJ、RJへの関心をさらに高めるきっかけになればよい。法による犯罪への報復という近現代的な「課題解決」のあり方は、それ自体デザインされたものだが、見直す時期にきている(*5)。

現実に介入するデザインもまた、法と同様、目先の課題を短期的に解決するだけでなく、力のおよぶ範囲への想像力を鍛え、課題を捉え直したうえで、治療回復することが求められる。あらたになにかを生み出すというよりは、今あるものを見つめ直し、修復・再生・循環させるデザインである。

自動車メーカーであるダイハツの提供する福祉介護・共同送迎サービス、ゴイッショは、担当者の岡本仁也氏が、福祉介護というフィールドに降り立つところからスタートした。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/15734

営業活動にある程度の目処がたったらそれをモデル化すればいいと当初は考えていたが、介護施設を3ヶ月かけて5、600箇所まわったところで、どうも反応が芳しくないことに気づく。行なうべきは車の販売ではないのではないか。そもそも目先の営業目標を達成したところで、その後の展開はどうなるのか。まずは相手から「話を聞きたい」と思ってもらえる存在にならないとだめではないか(*6)。

そうした問いから再出発し、介護事業者や高齢者の話に耳を傾け、知らなかった介護領域のことをより深く勉強し、サービス介助士2級の資格も取った。時間をかけて、全国のメンバーと共に全国の3万箇所以上の介護施設をまわった。そうしていくうちに、相手の眼の色が変わり、ラポールが形成されていく。

自動車メーカーが、高齢化社会の地域での生活を見直し、自動車の生産・販売という従来の役割ではなく、各事業者が保有する介護車両の重複稼働を避け、現場スタッフの送迎業務を削減し、負担を軽減する。あらたに何かをつくるのではなく、各地域にすでにあるものを修正し、組み合わせ直すことで、より適正な移動サービスの仕組みを考える。現在と未来の社会を見据えた新しいモビリティ・サービスの提案であり、固有のリソースをうまく循環させるための治癒的デザインだといえる。

土着性を聴き直す(Re-listening to the vernacular)

治癒的デザインを考える際に、ひとつ重要なキーワードになるのが、《聴くこと listening》である(*7)。

「視点④:「土着性」を聴き直す」のセクションでも詳述したように、今日のグローバリゼーションのもとでは、政治力や経済力において勝る者たちによって決められたスタンダードのもと、ほぼすべての人間が競争を促されている。そうした社会ではなおのこと、立ち止まって、自分たちが参入する《場 field》の枠組みを、“ゆっくりと、深く、やわらかく”問い直し、元来「自分たち」やその生存を可能にしている「他者」/「非-人間」の潜在力を探り直し、個々に備わる固有の歴史や文化の水脈を聴き直すこと(re-listening)が求められる(*8)。

そのとき、デザインの主体はもはや人間だけではなくなるだろう。人間以外の存在、山川草木、菌類、ウイルス、岩石、鉱物……あらゆる万物が、あるいはそのうつろいが、デザインの主体になるだろう。

この点で示唆に富むのが、台南市の「One Thousand Names of Zeng-wen River, 2022 Mattauw Earth Triennial」である。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/19930

2019年、台南市の主催者から芸術祭開催の相談を持ちかけられたGong Jow-jiun氏は、大学院生二人と、ほぼ手弁当でフィールドワークを開始する。彼らが注目したのは、市内を流れる河川である。誰もが知る存在なのに、ほとんどの人がこの土着の河川を深くは識らない。Gongさん自身、幼い頃から見ていたこの河川の源流がどこにあるのかさえ識らなかったという。話し合いの末、彼らは138kmにおよぶ流域のフィールドワークを開始する。

源流にさかのぼり、上流域に暮らす先住民ツォウ族が狩猟文化圏だと知ると、ハンターにたのんで「ハンターガイド」をお願いし、山や沢を登り、道を探って土着の「名前」を探していく。そしてそれらを地図にしていく。3度の夏休みを経て、流域内の10校の小学校の協力を仰ぎ、小学生たちとともにフィールドワークに出かけ、彼らが疑問に思ったことについて記事を書き、編集・デザインしてもらい、『小事報 Little Things Newspaper』としてまとめていく。流域に存在するすべての人間と非人間(消えた鰻、石や川砂利、ダムや洪水、植物や川魚、等)に生存権/主体を認め、代弁者を立てて声を聴き合う「万物議会 parliament of things」も複数の場所で開催した。その他にも、リサーチ、ワークショップ、イベント、刻一刻と変化する流域の環境、それらすべてを写真家の力を借りて記録し、それを見た人たちがさらに参加をはじめた。複数のプロジェクトに見出された複数の点が、メッシュワークのように折り重なって結実したのが、このエコ=アート・フェスティヴァルである(*9)。

Gong氏の学問的バックグランドがフランス哲学・思想ということもあり、「メッシュワーク」や「万物議会」など、コンセプト自体はヨーロッパ起源のものが多い(*10)。しかし、Gong氏はコンセプトありきで今回の芸術祭を企画しているわけではなく、ローカルな文脈のなかに概念を転回させている。そもそも、それらのコンセプトの背後にあるものは、決して西洋のオリジナルとはいえない。いわゆる「存在論的転回」が議論される前から、目的論的ではない人びとや非人間の自律的な連なりという発想はすでに存在していたし、非人間にエイジェンシーを認めようとする考え方もすでに存在していた。

人ならざるものの声に耳を澄ませ、流域の「共同体」を紡ぎ直す──麻豆大地芸術祭・龔卓軍 × 中村寛

必ずしもすぐには視圏には入ってこない、人間以上(more than humans)の存在に耳を傾けてきたのは、多種(multi-species)の生命活動に向き合ってきた研究者かもしれない。金澤バイオ研究所によるオーガニック肥料「土の薬膳」と「地消地産コンポスト」は、膨大な時間とエネルギーをかけた研究蓄積のうえに成立したバイオ肥料と土壌改善の仕組みである。

https://www.g-mark.org/gallery/winners/14695

土壌微生物/土壌生化学を専門とする研究者の金澤晋二郎氏が、フィールドに出て、森林、田畑、野原のなかをかけまわり、土壌を採取し、調べ、知見をためる。人間の手によって汚染され不健康になってしまった「土を健康にする」ことを掲げたこの研究は、すぐれて臨床的でもある。金澤氏の知見をもっと活かしたい、と考えたのは、娘の金澤聡子氏である。両者の協業により、天然素材を独自のレシピでブレンドすることで、食卓にあげることができ、小さな子どもが素手で触っても安心な堆肥が生まれた(*11)。

場所にもよるらしいが、土が1cmできるのに、100年から1000年かかるとされる。人間が壊したものを、人間が非人間の力を借りながら再生する。近年、リジェネラティヴ・デザインと呼ばれるものの多くは、そうした試みとして位置づけられるだろう。その根幹にあるのは、長年にわたる地道で創造的な研究(聴くこと)の積み重ねである。

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デザインは長らく「課題解決」を至上命令にしてきた。そして近年では、社会課題の解決を掲げる企業も多い。その心意気はすばらしい。

しかし、上に見てきた事例はいずれも、課題をすぐに、生真面目に解決しにいくことからはじめていない。表面的な課題を解決することは、根本解決をもたらさないばかりか、より深刻な事態につながることもある。そうではなく、課題の背後にある事象を詳細に観察し、じっくりと耳を傾け、深く受け止め直すことからはじめている。

問われているのは、解決の前に立ち止まり、「課題」を捉え直す勇気である。

今年度フォーカス・イシューの活動を総括したレポート『FOCUSED ISSUES 2023 これからの「デザイン」に向けた提言』では、審査や受賞者へのインタビューを通じて得られた新たなデザインの“うねり”を、提言と論考でまとめています。詳しくはこちら。 → 勇気と有機のあるデザインを紐解く:2023年度フォーカス・イシューレポート公開


中村 寛

人類学者 | 多摩美術大学教授/アトリエ・アンソロポロジー代表/KESIKI Inc.デザイン人類学者

文化人類学者。デザイン人類学者。「周縁」における暴力、社会的痛苦、反暴力の文化表現、脱暴力のソーシャル・デザインなどのテーマに取り組む一方、様々な企業やデザイナーと社会実装を行う。著書に『アメリカの〈周縁〉をあるく――旅する人類学』(平凡社、2021)、『残響のハーレム――ストリートに生きるムスリムたちの声』(共和国、2015)。編著に『芸術の授業――Behind Creativity』(弘文堂、2016 年)。訳書に『アップタウン・キッズ――ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化』(テリー・ウィリアムズ&ウィリアム・コーンブルム著、大月書店、2010)―――


(*1) ヴァルター・ベンヤミン(高原宏平・野村修編集)『ヴァルター・ベンヤミン著作集1ーー暴力批判論』晶文社, 1969. ジャック・デリダ(堅田研一訳)『法の力』法政大学出版局, 2011. (*2) Wexler, David B. “Therapeutic Jurisprudexnce and Its Application to Criminal Justice Research and Development.” Arizona Legal Studies (Discussion Paper), vol. No. 10-20, Nov. 2010, https://papers.ssrn.com/abstract=1628804. (*3) 修復的司法(RJ)と治癒的法学(TJ)とは、共通点を持ちつつも、異なる出自のものとして定義されている。RJに関しては、たとえば以下の文献を参照。ハワード・ゼア(西村春夫・細井洋子・高橋則夫訳)『修復的司法とは何か――応報から関係修復へ』新泉社, 2003. ---(森田ゆり訳)『責任と癒し――修復的正義の実践ガイド』築地書館, 2008. ジョン・ブレイスウェイト(細井洋子・染田惠・前原 宏一・鴨志田康弘訳)『修復的司法の世界』成文堂, 2008. 高橋則夫『修復的司法の探求』成文堂, 2003. 山下英三郎『修復的アプローチとソーシャルワーク――調和的な関係構築への手がかり』明石書店, 2012. TJに関しては以下を参照。Braithwaite, J. “Restorative Justice and Therapeutic Jurisprudence.” CRIMINAL LAW BULLETIN-BOSTON-, 2002, https://heinonline.org/hol-cgi-bin/get_pdf.cgi?handle=hein.journals/cmlwbl38§ion=20. Perlin, Michael L. “What Is Therapeutic Jurisprudence.” NYL Sch. J. Hum. Rts., vol. 10, 1992, p. 623. Wexler, David. “Therapeutic Jurisprudence:An Overview.” TM Cooley L. Rev., vol. 17, 2000, p. 125. Wexler, David B., and Bruce J. Winick. Law in a Therapeutic Key:Developments in Therapeutic Jurisprudence. Carolina Academic Press, 1996. 治療的司法研究会編著、指宿信監修. 治療的司法の実践――更生を見据えた刑事弁護のために. 第一法規, 2018. 治療回復共同体に関しては、坂上香『プリズン・サークル』岩波書店, 2022.『ライファーズーー罪に向きあう』みすず書房, 2012. (*4) ワンネス財団の伊藤宏基氏、三宅隆之氏、宮澤大樹氏へのインタビューより(2023年12月15日)。 (*5) そもそも法を、デザインの一種と考えることもできる。水野祐『法のデザイン』フィルムアート社, 2017. (*6) ダイハツ工業株式会社、岡本仁也氏へのインタビューより。なお、ゴイッショ開発の背景については、以下のサイトなどでも読むことができる。 https://caresul-kaigo.jp/column/articles/31314/(最終閲覧日:2024年1月6日) https://www.minnanokaigo.com/news/visionary/no69/(最終閲覧日:2024年1月6日) https://project.nikkeibp.co.jp/behealth/atcl/feature/00003/011100262/(最終閲覧日:2024年1月6日) (*7) 各種傾聴のプログラムやオープンダイアローグ、エンカウンターグループなど、聴くことや対話の実践に触れた書籍は多数存在する。だがここでは、理論的な基盤として以下の文献を参照。アルベルト・メルッチ(新原道信・長谷川啓介・鈴木鉄忠訳)『プレイング・セルフ――惑星社会における人間と意味』ハーベスト社, 2008. 新原道信『境界領域への旅ーー岬からの社会学的探求』大月書店, 2007. 鷲田清一『「聴く」ことの力ーー臨床哲学試論』阪急コミュニケーションズ, 1999. (*8) “よりゆっくり、より深く、よりやわらかく”というものごとへの「かまえ」は、平和・環境活動を展開したアレクサンダー・ランガー(Alexander Langer)によるもので、のちに社会学のアルベルト・メルレルや新原道信に引き継がれたものである。たとえば、以下の論考を参照。https://sociology.r.chuo-u.ac.jp/blog/detail/270 (*9) Gong Jow-Jiun氏へのインタビューより(2023年12月7日)。下記のサイトも参照。 https://www.g-mark.org/en/gallery/winners/19930(最終閲覧日:2024年1月6日) (*10) メッシュワークは、ティム・インゴルドによって、ネットワークとの対比で打ち出された概念。万物議会は、ブリュノ・ラトゥールによるもの。ティム・インゴルド(工藤晋訳)『ラインズ――線の文化史』左右社, 2014. ブルーノ・ラトゥール(川村久美子訳)『 虚構の「近代」――科学人類学は警告する』新評論, 2008. (*11) 金澤晋二郎氏および金澤聡子氏へのインタビューより(2023年12月22日)。


今井駿介

フォトグラファー

1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。


小池真幸

エディター

編集者。複数媒体にて、主に研究者やクリエイターらと協働しながら企画・編集。