2025年度フォーカス・イシュー
デザインの自由と解放
原点回帰を貫いたSigma BFから探る「求心力」のデザイン
2026.04.28
フォーカス・イシュー・リサーチャーの林亜季は、2025年度の提言として「遠心力の時代に、『求心力』をデザインする」を打ち出した。その提言を体現する事例として挙げたのは、2025年度グッドデザイン金賞・経済産業大臣賞を受賞したレンズ交換式フルサイズミラーレスカメラ「Sigma BF」である。
アルミのインゴットから1台あたり7時間以上かけて削り出されるボディ、極限まで簡素化されたユーザーインターフェース、さらに、開発と時期を同じくして進められたロゴやフォント、パッケージの刷新。カメラの存在意義を問い直し、“原点回帰”に挑んだというこの製品は、どのような想いから生まれたのか。
株式会社シグマ代表取締役社長の山木和人と、国際マーケティング部ブランド戦略課課長の森田帆七との対話を通じて、コンセプトを「やり抜く」ことで生まれた求心力の源泉を探った。
カメラはこのままでいいのか?──Sigma BFの出発点
林 はじめに、今回受賞されたSigma BFの開発背景とコンセプトについて、改めて教えていただけますか。
山木 まず、カメラ市場の話からさせてください。私が代表取締役社長に就任した2012年頃が市場のピークで、そこから現在までに規模は3分の1ほどに縮小しました。当時グローバルで年間2000万台ほど出荷されていたレンズ交換式カメラのボディが、今は700万台を切っている。交換レンズもピーク時の3000万本から1000万本ほどまで減りました。
背景にあるのは、スマホの撮影画質の大幅な向上です。コンピュテーショナルフォトグラフィと呼ばれる演算補正の技術が進歩して、撮影の主役がカメラからスマホへ移りつつある。もちろんスマホで撮ることを否定するつもりはなく、今やスマホも立派な撮影デバイスです。ただ、カメラメーカー、レンズメーカーとしては危機感を覚えざるを得ない。カメラは今のままでいいのかと。
林 3分の1への縮小となると、カメラをつくること自体の意味を考え直さざるを得なくなったと。
山木 ええ。カメラ業界はどちらかというと保守的ですが、当社は最大手ほどシェアが高くありません。もう一度カメラのあるべき姿を、思い切って原点から問い直してみよう——Sigma BFは、そんな動機から始まったプロジェクトです。
森田 社内には、定量的に「売れる商品」を狙うよりも、世の中にないものを作っていこうという考え方が根底にあります。ただ、既存のカメラユーザーだけに届けていては“広がり”に限界がある。
私はブランドコミュニケーションを担当していて、シグマの製品やブランドの価値をお客様にどう届け、どう伝えるかを考える立場にいます。その中で、今までとは違う層にもきちんと届くコミュニケーションを行わなければならないと、特にここ数年は強く感じてきました。
林 既存のユーザーだけでなく、もっと広い層に届くカメラを目指す。市場が縮んだからこそ、問い直す必要性が生まれたのですね。そこから、どんなカメラが理想像として浮かんできたのでしょうか?
山木 一言でいえば、「毎日持ち歩きたくなるカメラ」です。
カメラを手にしていることで、日常のふとした瞬間に自然とシャッターを切りたくなる場面が生まれやすくなると思っています。ふだん気に留めない路地裏の影や、夕方の窓辺に差す光など、何気ない美しさに気づかせてくれるのが、カメラを持ち歩く魅力のひとつなんです。「持っているだけで、クリエイティブな気持ちを呼び起こしてくれるデバイス」とも言えるかもしれません。
スマホでも写真は撮れますが、不思議とそういう気持ちにならないんですよね。撮るとしても集合写真やご飯ぐらいで、日常の光の加減に気づいてシャッターを切る、という感覚にはなりにくい。やっぱりカメラを持っているからこそ、ふとした美しさに目が向くんだと思います。

林 スマホと比べて機能が絞られているからこそ、人を“撮影”へと引きつける力があるわけですね。
山木 そうなんです。だからこそ、カメラを何か特別な撮影機会のためだけでなく、日々の暮らしの中でこそ持ち歩いてほしい。そのためには、毎日カバンに入れても苦にならないサイズと重さ、手に取るたびに嬉しくなる質感と佇まいが必要になります。シンプルでエレガントで、撮ることだけに集中できるもの。その理想をさまざまな角度から突き詰めた先に、Sigma BFのコンセプトが見出されました。
カメラの原点は“暗箱”である
林 「持ち歩きたくなる体験」は言葉にすると簡潔ですが、それをプロダクトとして形にするのは容易ではないはずです。具体的にはどんなコンセプトで設計されたのでしょうか?
山木 50年後に「シグマがああいうカメラを作ったよね」と語られるようなものを作りたい。そう考えて、原点回帰、つまり「本質に近づくこと」を軸に据えました。そのうえで、たどり着いたコンセプトのひとつに「モダン・カメラ・オブスクラ」があります。
「カメラ・オブスクラ」はラテン語で「暗い部屋」を意味する言葉。これが語源となり、「カメラ」という名前が生まれたとされています。つまりカメラの原点は、光を取り込む“暗箱”なんです。映像を作るのはレンズであって、カメラ本体はその光を受け止める器にすぎないと言えます。
林 レンズが映像を作り、カメラ本体はそれを受け止める器。そう考えると、今のカメラは原点からはずいぶん遠ざかっているようにも感じます。機能が積み重なるほど、本来の役割がかえって見えにくくなると言えるかもしれません。
山木 そうなんです。もちろん、機能が積み重なったのにも理由はあります。ですが、毎日持ち歩く道具なのに、使わないボタンが多くては美しくないし、洗練されているとも言えない。ならばもう一度、思い切って“暗箱”に戻ってみてはどうかと考えました。
当初、設計のために僕が書いたスケッチには、シャッターボタン1個とダイヤル1個しかありませんでした。iPod Classicのクリックホイールみたいな感じでできないかとデザイナーに頼んだら、結局「無理です」と言われましたけど(笑)。
林 「極限まで削ぎ落とす」という明確な方向性があったからこそ、開発チーム全体が同じゴールへ向かえたのかもしれませんね。
山木 そうかもしれません。素材にも同じような意志を込めています。ボディはアルミのインゴットから1台ずつ削り出していて、1台あたり7時間以上かかるんです。

森田 実際に使ってみると、驚くほど“フレンドリー”な使い心地を実現できていると思います。ボタンが少ないぶん迷わないですし、撮っていて純粋に楽しいんです。
触覚フィードバックの採用も使い心地を踏まえた選択でした。ボタンやホイールは使い込むうちにスカスカになりがちですが、触覚フィードバックは電子的な仕組みなので劣化が起きず、何年使っても最初と同じ心地よい感触が続きます。
そのうえで、そうした技術的な工夫に気づかず、ただ自然に使ってもらえているなら、私たちとしてはとても嬉しいですね。

「リブランディング」ではなく「原点回帰」
林 カメラ本体のデザインだけでも十分に挑戦的ですが、今回はロゴやフォント、パッケージのリニューアルもしています。製品単体でなく、ブランド全体の刷新にまで踏み込んだ理由を教えてください。
山木 実はもともと、ブランドの見え方を変えたいという議論が、Sigma BFの開発とは別に進んでいたんです。シグマがこれから先もお客様に選んでいただけるブランドであるために、ビジュアルアイデンティティを見直す必要があると考えていました。
林 どのような背景から、ブランドに関する議論が生まれたのでしょうか?
山木 当社は父が創業したファミリー企業です。上場企業であれば社長の交代で節目になるかもしれませんが、ファミリー企業の経営は次の世代、その先の世代へと続いていく。必然的に、何十年先を見据えなければなりません。
これまで自分たちとしては“ものづくり”にこだわってやってきたつもりでした。ただ、それがなかなか世の中に伝わりにくい。ならば思い切って、会社としての哲学や姿勢が伝わるよう、ブランドの見え方を根本から見直そうと考えたのです。そのプロセスが、結果的にSigma BFの開発時期に重なったんです。
ただ、私はリブランディングという言葉があまり好きではありません。「今までが間違いだったから変えます」というニュアンスがつきまとうからです。これまで積み上げてきたものを否定するのではなく、もう一度原点に立ち返って、自分たちが本当に大事にしてきたものを見つめ直す。その“原点回帰”の精神を、ブランド全体として表現したいと考えました。
林 「リブランディング」ではなく「原点回帰」。その言葉の選び方自体に、これまでの歩みへの敬意が込められていますね。ブランドの刷新は、具体的にどんなプロセスで進められたのでしょうか。

森田 Stockholm Design Labというスウェーデンのデザイン会社と一緒に、ロゴからパッケージまでひとつずつ議論を重ねて形にしました。
当社は売上の大半を海外が占めており、「グローバルにどう打ち出していくか」もブランド刷新における大きなテーマのひとつでした。それもあり、Stockholm Design Labからは、グローバル市場では「メイドインジャパン」をもっと活かすべきだと強く言われました。ただ、いかにもな「日本」を前面に押し出すのではない。控えめだけれど品質の高さや技術力が自然と伝わる——そういう佇まいをブランド全体に持たせた方が良いと伝えられました。
林 変革の核心をついたのが、カメラ業界の外から来たデザイナーだったというのは示唆的ですね。“当たり前”を問い直すには、その外側の視点が不可欠だったと。
森田 まさにそうですね。たとえば、カメラ業界では20万、30万円のレンズでも無地の段ボールに入れて出荷するのが常識です。私たちもそれを疑いもしていませんでした。ですが、彼らに「30万円のレンズが、なぜこんな素っ気ない箱に入っているんだ?お菓子のパッケージの方がよほど丁寧じゃないか」と言われて、それは確かにそうだと。自分たちが当たり前だと思い込んでいたことを、外の目で見直すきっかけになりました。

林 なるほど、ハッとさせられる言葉ですね。今回はパッケージだけでなく、ロゴもリニューアルされていますよね。
森田 はい。ワードマークを刷新し、専用フォントも新たに開発しました。
既存のファンやユーザーの方からの反発を心配していましたが、意外なほどすんなり受け入れていただけたのが印象的です。シグマ本社で、海外からもゲストを招いたお披露目会を開いたのですが、Sigma BFと新しいロゴが並んでいるのを見て、皆さんすごくポジティブな反応をくださって。別々に進んでいたものが同じタイミングで形になったことで、「こういうことをしたいから変わるんだね」というのがストレートに伝わったのではないかと思います。
林 製品が先にあって、ブランドの変化がそこに自然とついてくる。その順序だからこそ、より深く受け入れられたのかもしれません。
製品名の「BF」にはどんな意味が込められているのでしょうか?
山木 意味は“Beautiful Foolishness”で、岡倉天心の『茶の本』に出てくる言葉です。日本語にすると「美しき愚かさ」。二律背反する言葉を組み合わせた表現という意味では、これまでにないネーミングかもしれません。
「やり抜いたこと」が生んだ求心力
林 今年度のフォーカス・イシューで、私は「遠心力の時代に、『求心力』をデザインする」を提言としています。モノも情報もあふれ、人々の注意が絶えず“分散”していく時代に、人を引きつける力をどう設計するか。ここまでお話を伺ってきて、Sigma BFは製品とブランドの両面から、まさにその求心力を体現しているように感じます。
山木 ありがとうございます。もしこのカメラに林さんがおっしゃる“求心力”があるとすれば、それはひとえに「やり抜いた」結果だと思います。
カメラの存在意義をもう一度問い直し、原点に返り、毎日持ちたくなるもの、光や影の美しさに気づかせてくれるものにする。そのコンセプトを定めて、暗箱としてのデザインからUI、パッケージまで一貫してやり抜きました。

林 明確なコンセプトと、それを形にするためにやり抜く覚悟。そのふたつが揃ったとき、製品は“説明しなくても伝わる力”を帯びる——それこそが求心力の正体なのかもしれません。実際に、ユーザーからはどんな反応がありましたか?
山木 支持と批判が半々になるだろうと覚悟していましたが、実際に発表してみると、コアなカメラファン層からも高い評価をいただくことができました。彼らも「今のカメラはこのままでいいのか」と、少なからず問題意識を持っていたのではないでしょうか。
森田 メディアからの見られ方も変わりました。取材の依頼が増えて、これまで全くお付き合いのなかったファッションやデザインの専門媒体からも、問い合わせをいただけるようになったんです。
それともうひとつ、社内にも変化がありました。これまで海外子会社はレンズの売り上げが中心で、正直なところカメラ本体のビジネスにはそこまで熱心でない側面もありました。それがSigma BFの発表後は、カメラに対する意識が明らかに変わって、自発的にポップアップストアを企画してくれるスタッフも出てくるようになった。目の色が変わりましたね。
山木 象徴的なエピソードがあります。フランスで長年営業をしていた社員が定年を迎えたのですが、ファッション好きで、カメラには関心が薄かった。その彼がSigma BFを見て「初めてカメラが欲しいと思った」と言ってくれたんです。退職のお祝いに、ボディにレーザーで名前を刻印して贈りました。
林 製品ひとつで社外も社内もこれほど気持ちが動いた、その要因は何だと思いますか?
森田 先ほど山木も触れたとおり、妥協せずにやり抜けたことが大きかったと思います。シグマは自由度が非常に高い会社ですが、裏を返せば、「どこまで攻めてどこで止めるか」を自分たちで決めなければなりません。その一つひとつの判断で、「ここが最善だ」と納得できるところまで詰められたのが大きかった。本当に絶妙なバランスの上に成り立っていると感じます。

山木 “自由”に関しては、個人的な原体験もあるんです。私が子どもの頃に通っていた和光学園という学校は、校則がほとんどない。その代わり、自分で考えて行動することが求められる。ルールがないから考える——あの環境で身についた感覚が、シグマにおけるものづくりの方針にも通じていると思います。
森田 自由にやれる代わりに、なぜこの人を呼ぶのか、なぜこの形なのか、一つひとつ自分たちで考えなければならない。自由と制約のあいだにある、細くて理想的な道を最後まで歩き通せたこと。Sigma BFの形は、その結果のあらわれだと思っています。
林 暗箱への原点回帰から始まり、UI、ロゴ、パッケージに至るまで、すべてがひとつのコンセプトで貫かれている。それらを「やり抜く」覚悟と、自由の中で規律を保つ力。お二人のお話を伺って感じたのは、Sigma BFが生んだ求心力は、表層的なデザインの刷新ではなく、カメラづくりの本質に立ち返ったことから生まれたものだったのですね。今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
山木 和人
株式会社シグマ 代表取締役社長
1993年、株式会社シグマに入社。機構設計などを担当後、経営企画室に入る。2000年からはじめたカメラプロジェクトリーダーを務め、2005年に取締役社長、2012年2月に代表取締役社長に就任し、現在に至る。
森田 帆七
株式会社シグマ 国際マーケティング部ブランド戦略課課長
2015年、株式会社シグマに入社。商品企画部デザイン課で2016年発表のシネレンズライン立ち上げメンバーとして携わったのち、マーケティング部へ。2024年からブランドのビジュアルアイデンティティ刷新プロジェクトのリーダーを務め、2025年7月よりブランド戦略課課長。
林 亜季
編集者/経営者 株式会社ブランドジャーナリズム代表取締役
2009年、朝日新聞社に記者として入社。2017年、ハフポスト日本版チーフ・クリエイティブ・ディレクターに就任。翌年、Forbes JAPAN Web編集長に就任。2020年、株式会社アルファドライブへ。同社執行役員統括編集長、NewsPicks for Business 取締役などを務めた。2022年、株式会社ブランドジャーナリズム設立、代表取締役に就任。ビジネスマガジン『Ambitions』元編集長。
今井 駿介
フォトグラファー
1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。
栗村 智弘
ライター/エディター
愛知県生まれ、職能は取材・執筆・編集およびプロジェクトマネジメント。一般社団法人デサイロ「Unknown Unknown」マネージャー。ほか複数の事業会社・スタートアップ・Webメディアで活動中。早稲田大学文学部卒。競技歴は野球、バスケットボール、空手、陸上、ハンドボール。猫とうさぎと神奈川県在住。
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