2024年度フォーカス・イシュー
「はじめの一歩から ひろがるデザイン」を考える
イノベーションを後押しする「暗黙知の形式知化」としてのデザイン──入山章栄 × 林亜季
2025.3.20
フォーカス・イシュー・リサーチャーの林亜季は、2024年度の提言として「『アイデンティティ』を疑うことから始める」を打ち出した。その提言内容をいっそう深めるべく、対話を打診したのは早稲田大学ビジネススクール・教授で経営学者の入山章栄だ。今回は誌面の都合上レポートに載せきれなかったエピソードも含め、対話の様子を全文公開する。
「日本企業がイノベーションを起こせなくなった」という言説が聞かれるようになってから久しいが、林は近年のデザインの進化にブレークスルーの兆しを見出している。デザインは究極の「暗黙知の形式知化」であると語る入山と、日本企業と日本のビジネスパーソンがイノベーションを生み出すためのヒントを探っていく。
日本企業は本当にイノベーションを起こせなくなったのか?
林 日本企業がイノベーションを起こせなくなったと言われてから久しいと思います。それでも私がグッドデザイン賞に関わるようになってから思うのは、ブレークスルーの兆しをみせるいくつかの事例の背景に、デザインの力が見え隠れすることです。たとえば、2024年度にグループとして12個のグッドデザイン賞を受賞し、半導体製造装置では2つの金賞を受賞したキヤノン、2023年度であれば金賞を受賞したパナソニックのシェーバー「ラムダッシュ パームイン」(以下、ラムダッシュ)はその好例です。
入山 ラムダッシュ、今日もちょうど持ってますよ。
林 え、そうなんですか!
入山 普段使いしていて、本当に素晴らしいと感じています。この2年間で買ったものの中でベストバイの買い物でした。最近は時間がないので、ほとんどの移動がタクシーなんです。運転手の方が男性の場合、断りを入れて、タクシーの中で髭剃りをしてしまいます。そうしたときに、ラムダッシュはコンパクトで持ち運びやすいし、オシャレだし、五枚刃なので問題なく剃れる。「これいいわ」と思ってから2年間、愛用していますね。
林 ラムダッシュは現場のあるデザイナーさんが発起人となり、会社を説得しながら商品化を実現したと聞きます。ラムダッシュの成功によりデザインの力が認められ、企業変革の起爆剤にもなった側面があると思います。
入山 これは完全にイノベーションですよね。ただ、何か技術的な発明があったというより、ジョイント機構を見直したことがポイントだったわけです。あとは、コネクタ規格をUSB Type-Cに割り切っているのも個人的に気に入っている点です。乾電池を買うことほど不毛なことはないので、その点でも画期的だと思います。
林 また先ほど触れたキヤノンでは、M&Aで買収した企業を統合するプロセスでもデザインが重要な役割を果たしていると聞きました。日本企業がイノベーションを起こしたり、企業変革に取り組んだりする上で、デザインが果たす役割の大きさを感じています。
デザインは究極の「暗黙知の形式知化」
入山 私はデザインを「暗黙知の形式知化」として捉えています。この考え方は、一橋大学大学院教授の野中郁次郎先生が提唱した「SECIモデル」に由来します。
林 広義のナレッジマネジメントで基礎理論として用いられるモデルですね。個人が持つ知識や経験などの暗黙知を形式知に変換した上で、組織全体で共有・管理し、それらを組み合わせることでまた新たな知識を生み出すフレームワークです。
入山 はい。人間の心の中にあるさまざまな感覚を氷山の図で表すなら、目に見える部分のほとんどが暗黙知です。氷山の下には、言語化されたり、形を与えられたりしていない多くの部分──すなわち暗黙知が眠っています。
その意味で、私はデザインを究極の暗黙知の形式知化だと考えているんです。自分の中でいくら「こういうものがあったらいいな」と思っていたとしても、それは感覚に過ぎない。そこで、今までになかったものを具現化するのがデザインです。
しかし、多くの日本企業が暗黙知の形式知化に苦しんでいます。そもそも自分たちが何をしたいのかがわからなくなっているんです。だからこそ一時期、ユーザー視点からビジネス上の課題を見つけ、解決策を考える手法であるデザイン思考が注目を集めたのでしょう。
林 例えばラムダッシュも、ある種の暗黙知の形式知化がなされていたと?
入山 実際にはデザイナーのどんな感覚から発案されたのかは知る由もないですが、「持ち手なくてよくない? これでいいんじゃないの?」といった、最初の着想があったと思うんです。デザインを形容する言葉はあくまでも、暗黙知が形式知化された後に出てくるのだと思います。
デザインへのこだわりが生み出した、想定外の消費行動
入山 デザインといえば、少し話は逸れますが、私が2019年に出版した『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社、2019)は実はデザインにもとてもこだわって作った本です。800ページを超える分厚さで、いわゆる“鈍器本”ブームのきっかけになった本ですね。
林 どうしてこんなに厚い本を出そうと思ったんですか?
入山 これはもともと『ハーバード・ビジネス・レビュー』の連載で始まりました。計画段階では20章で収まるはずだったんです。ただ、書き進めながら理論を勉強しているうち、「あれも足さなきゃ、これも足さなきゃ」と項目が増えていき、結局下敷きになった連載が『ハーバード・ビジネス・レビュー』史上最長の44回になったんです。出版の前段階で「分冊で出すか、一冊で出すか」が議論になりました。でも私は分冊は嫌だったんです。なぜならクオリティは変わらないにもかかわらず、上巻だけ買って、下巻は買わない人が出てくるじゃないですか。とにかく一冊にして出すことにこだわりました。当時、印刷会社の人から「人類が作れる最も厚いレベルの本です」と言われたのを覚えています(笑)。
林 本を厚くする上で、デザインにもこだわられた?
入山 元々ハーバードの連載では縦書きだったのですが、本では横書きになっています。それによって教科書感を出すという狙いもあるのですが、単純に横書きの方が字数を詰められるからなんです。あともう一つ、これまでほとんど話したことがなかったのですが、実は紙の薄さが通常よりもやや薄くなっています。
こうした工夫の積み上げであの厚さが実現しています。ある意味で、「新しいデザインの本」として出したわけです。実際、本屋でこの本が置いてあるのをみると、あまりの分厚さに異様さを覚えると思います。
林 当時すごく話題になっていましたよね。
入山 実は発売してみてから予期せぬ面白いことが起きました。持ち運ぶのには重過ぎるので、物理的な本とは別に、電子で買う人が出てきました。あるいは自宅用とオフィス用で二冊購入する人も。ここまではいいとして、さらに面白かったのは、一冊は保管し、もう一冊この本を買ってそれをハサミでバラバラにして、章ごとに読む人が出てきたんです。あのデザインにこだわったことで、「複数保有」という想定していなかった動きが生まれました。
林 ご自身のこだわりが結果として、想定していなかった本の買われ方になったわけですね。今年のグッドデザイン賞の受賞作品をみていても、「自分がやりたいから」という思いを貫いた結果として、業界や会社の常識を突破するものにつながったケースがいくつかありました。
入山 デザインはデザインなのですが、そういう意味ではアートに近いかもしれないですね。そもそもデザインとアートの違いは何か? という話がありますが、私の理解では、デザインが課題発見であり課題解決なのに対して、アートはどちらかといえば意思表示。純粋に問題解決だけに終始していると、アートには辿りつかない可能性があります。
むしろ、ある日ふと「これを提示したい」と思いつく、その感覚の方が大切で。私が反対を押し切って分冊ではなく一冊にこだわったのも、自分の信じる感覚があったからこそなんです。
林 たしかにデザインよりもアートに近いかもしれません。今までの常識からは考えられない本になったことで、新しい消費の仕方が生まれたわけですね。あの分厚さにもかかわらず、15万部売れているのはすごいことだと思います。
革新が期待される、BtoB領域のデザイン
林 いくつかコメントをいただきたいグッドデザイン賞の受賞作品があります。例えば2023年はトヨタの新型プリウスが大賞の候補になるなど、自動車関連の受賞作品がいくつかありました。ところが2024年に、グッドデザイン・ベスト100に入ったのは資源の完全循環へ向けたクルマづくりのプロセス「Geological Design」でした。約10年前から取り組んでいたようです。こうした潮流の変化は、今後の業界を占う上でも注目だと感じました。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/25806入山 素晴らしいアイデアですね。特に10年前から取り組んでいたという点が素晴らしいので、できれば10年前に受賞してほしかったですね。今やアパレルの世界ではリサイクルが当たり前になりつつありますから。もはやすべて有機素材で自動車を作るくらいの作品が出てきてほしいです。
林 ちなみに今年大賞を受賞したのは「障害の有無に関わらず誰もが遊ぶことができる遊具」の開発を、医療と遊具の分野を越えて実現した「RESILIENCE PLAYGROUND プロジェクト」です。はじめは若い社員の方が細々と始めたプロジェクトだったそうです。
入山 健常者の子も一緒に遊べるユニバーサル遊具、とてもいいですね! 個人的には今後、大人も存分に遊べる遊具を作ってほしいです。今は特に高齢者がぶら下がったり、健康目的で遊具を使うことくらいしか大人が公園で遊具に触れる機会がないと思うんです。公園は子どもだけのものではなく、大人も含めて広く開かれた場所ですから。大人も遊べる世界観があってもいいのではないかと思います。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/22683林 あるいは金賞受賞作である、半導体製造装置「Adastra」。受賞したキヤノンアネルバは元々はNECの子会社だったのですが、M&Aでキヤノンの傘下に。それからデザインも含め、キヤノンのDNAを受け継いでいったそうです。それこそ名刺のデザインを作るところから、統合プロセスは始まったと聞きます。今後日本で成長が期待される半導体の分野において、デザインが大きな役割を果たした事例とも言えます。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/20950入山 今後より一層IoTの時代が加速し、モノとデジタルが融合していきます。すると、これまで物理的な制約を超えづらかった工場や物流、あるいは医療などの領域で次々と革新が起こるはずです。
林 その兆しを感じる2024年度のグッドデザイン受賞作品に、運転席部分と荷台部分を切り離せる冷凍トラック「スワップ冷凍バンボデー」があります。事前に荷台部分の予冷や冷凍荷物の積み下ろし作業を倉庫側で行なうことができ、ドライバーは労働時間を運転業務に集中できるため、長時間労働が改善され、輸送効率向上にも貢献するというものです。
あるいは金賞を受賞した、自動倉庫ソリューション「ラピュタASRS」。アンカーレスで、ブロックのように組み立てることが可能で、既存の倉庫でもオペレーションを止めずに自動倉庫を設置することが可能になっています。
https://www.g-mark.org/gallery/winners/24551 https://www.g-mark.org/gallery/winners/21817入山 物流を含め、BtoBの領域では人手不足がより深刻になるので、AIやロボットの助けが必要不可欠です。例えばすでに、Logisteed(元・日立物流)の物流センターに行ってみると、ほとんど無人でオペレーションが行われています。巨大なルンバのようなロボットが床を走り、モノを運んでいる。BtoCと比較してBtoBの領域はまだまだDXの余地が残されているため、今後大きく変わっていくでしょう。
林 暗黙知の形式知化としてのデザインや、BtoBビジネスにおけるさらなるデザインの可能性などのお話を伺い、ビジネスパーソンがいかに日々の仕事やミッションを「デザイン」と意識するか、また、すぐれたデザインからいかに学びを得るかが、これからのイノベーション創出への鍵となるのではと感じました。本日はありがとうございました。
2024年度フォーカス・イシューの活動を総括したレポートでは、審査や受賞者へのインタビューを通じて得られた新たなデザインの“うねり”を、提言と論考でまとめています。詳しくはこちら。 → はじめの一歩から ひろがるデザイン:2024年度フォーカス・イシューレポート公開
入山 章栄
早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)教授。専門は経営学。国際的な主要 経営学術誌に多く論文を発表している。著書の『ビジネススクールでは学べない世界最先端 の経営学』、『世界標準の経営理論』はベストセラーとなっている。
林 亜季
編集者/経営者 株式会社ブランドジャーナリズム代表取締役 ビジネスマガジン『Ambitions』編集長
2009年、朝日新聞社に記者として入社。2017年、ハフポスト日本版チーフ・クリエイティブ・ディレクターに就任。翌年、Forbes JAPAN Web 編集長に就任。2020年、株式会社アルファドライブへ。同社執行役員 統括編集長、NewsPicks for Business取締役などを務めた。2022年、株式会社ブランドジャーナリズム設立、代表取締役に就任。同年、イノベーターズマガジン Ambitionsを創刊、編集長を務める。
長谷川リョー
ライター
文章構成/言語化のお手伝いをしています。テクノロジー・経営・ビジネス関連のテキストコンテンツを軸に、個人や企業・メディアの発信支援。主な編集協力:『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文、落合陽一)『日本進化論』(落合陽一)『THE TEAM』(麻野耕司)『転職と副業のかけ算』(moto)等。東大情報学環→リクルートHD→独立→アフリカで3年間ポーカー生活を経て現在。
今井駿介
フォトグラファー
1993年、新潟県南魚沼市生まれ。(株)アマナを経て独立。
小池真幸
エディター
編集者。複数媒体にて、主に研究者やクリエイターらと協働しながら企画・編集。