「よいデザイン」がつくられた 現場へ
よいデザイン、優れたデザイン、 未来を拓くデザイン 人々のこころを動かしたアイデアも、 社会を導いたアクションも、 その始まりはいつも小さい
よいデザインが生まれた現場から、 次のデザインへのヒントを探るインタビュー

今回のお訪ね先
株式会社マーナ
暮らしを変える傘のイノベーション (前編)
2025.09.12
暮らしの「ちょっと不便」を見逃さず、独自の発想で解決する――。そんな姿勢から数々のヒット商品を生み出してきた株式会社マーナ。なかでも「Shupatto(シュパット)アンブレラ」は、傘の構造そのものに革新をもたらした画期的なプロダクトです。折り畳み傘や意匠性の競争が主流のなか、「手を濡らさずにたたむ」という発想から生まれたこの傘は、閉じると同時に一気に生地がまとまるという新しい体験を提案します。そして2023年度グッドデザイン・ベスト100に選出。同製品の開発をリードした谷口諒太さんに、着想の瞬間から5年に及ぶ開発過程と製品化に至るまでの試行錯誤を伺いました。
アイデアを生かす、マーナのデザイン体制
— マーナは19年連続でグッドデザイン賞を受賞されています。今回はぜひ、数々のヒット商品を生み出す秘訣を伺いたいと思っております。まずデザインチームがどのような体制になっているのか、気になります。谷口さんが統括されていらっしゃるのですね?
谷口諒太(マーナ 開発部デザイングループ マネージャー) はい。現在は、デザイングループのマネージャーとして、プロダクトデザイン部門を統括しています。デザイナーは10名ほどで、ジャンルで区切ることはなく、アイデアを思いついた人が責任をもってプロジェクトを進めるスタイルです。
プロジェクト進行数はおよそ100点にのぼります。企画、デザイン、試作、検証、量産化まで一気通貫で進めるのが特徴で、全員がゼネラリストであることを求められます。担当者は最後まで面倒を見るので、苦労も多いですが、だからこそ「自分の仕事」と胸を張れる文化がありますね。
— それはユニークな製品が生まれる秘訣の一つだと思います。通常の開発サイクルを簡単に説明していただけますか?
谷口 新しい製品のアイデアが出ると、担当者を決め、社内で試作を繰り返しながら企画を練り上げます。その後、社内のエンジニアや工場との調整を行う生産管理と連携し、量産へとつなげていきます。大半は1〜2年で市場に出ますが、「Shupattoアンブレラ」は特別で、長い年月を要しました。長いだけでなく、失敗と修正の積み重ねが非常に多かった点でも異例です。
雨の日の不便が発想の原点
— 「Shupattoアンブレラ」は傘を閉じると骨組みが回転し、生地を巻き込んでいくので、ベルトがなくても収まるという画期的な発想の長傘です。これまでにない発明ですが、どのように着想したのでしょうか。
谷口 現在の社長である名児耶剛が百貨店で目にした光景を、帰社後に一部始終語ったのがきっかけです。「入口で人々が濡れた傘をビニール袋に入れようとして列を作っている。床は水たまりになって滑りそうだし、係員は慌てて袋を補充している。あの混乱をどうにかできないか」というものでした。
「この問題を解決すれば大きな価値になる」と感じたと言います。そこから「もっとスマートに傘を扱える方法はないか」という問いが立ち、プロジェクトが始動しました。
— 日常にありふれた、ちょっとした不便を社会的な課題として捉えることは、商品開発する上でとても重要だと感じます。雨の日の不便を耳にし、谷口さんはすでに新しい傘の技術的な解決策は見えていたのでしょうか。
谷口 そのとき、私の頭には「閉じると同時にまとめる」というイメージが浮かびました。「布を一気に収束させることができれば、解決できる」と直感したのです。そこで骨の節にゴムを取り付け、閉じると同時に布を引き寄せる仕組みをすぐに試してみました。引っ張る動作をどう付ければいいのかを考えたのです。
しかし実際に使ってみると、耐久性がまったく足りません。傘というのは開閉動作の回数が非常に多い製品です。何十回か動かすうちにゴムが伸びきってしまい、使い物にならなくなる。逆に強度を上げようとすれば、今度は勢いが強すぎて布がバチンと弾かれて、跳ね返ってしまう。結局、量産品には到底できない構造だと分かりました。
谷口 そういった試作を3年続けて仕組みを考え、量産できる体制に整えるのにさらに2年費やし、合計で5年ほどかけて完成しました。試作の数は100を超えるのではないでしょうか。
傘の歴史に挑む5年の開発
— 5年がかり! 傘はすでに市場にあふれている製品です。そのなかで、途中でプロジェクトが立ち消えになることなく、完成まで漕ぎ着けることができたのは、なぜですか。
谷口 雨が多く、ビニール傘が普及している日本は、傘の年間消費量では世界最大規模と言われています。ですからこのソリューションによって喜ぶ対象者は、ものすごく多いと感じていました。傘の歴史は紀元前から続いていますが、その形はほとんど変わっていないんです。基本として柱があり、そこに生地を仕込むというもの。そこから変わったのは、1920年代にドイツで折り畳み傘が考案され、「クニルプス(Knirps)」として商品化されたことでした。このブランドは折り畳み傘の代名詞となりました。
私は、現在の構造に近いプロトタイプができたときに、クニルプスの次の傘のイノベーションとなるのはこれだ、というぐらいの大きなインパクトがあると自覚していました。それだけにとても難しい課題が山積みでしたが、 完成するまでは続けていこうという熱意を失うことはなかったし、口火を切った名児耶の意志も強かったと思います。
二重のろくろでブレークスルー
— どうやって新しい仕組みを思いついたのですか?
谷口 傘を開閉するときに手でスライドする円筒状のパーツを「ろくろ」と言いますが、普通の傘では一つしか付いていません。ところが試作を繰り返していくうちに、「これを2つにすれば、布をうまく収束できるのではないか」とある時、ひらめいたのです。
もちろん、単純に2つ付ければよいというものではありません。内側にスパイラル構造を付けていますが、一つ目を先に動かし、少し遅らせてもう一つを動かすごくわずかなタイムラグが必要でした。ほんの数ミリ秒のズレですが、それがあることで布が自然に流れ、最後は内臓したロック機能でまとまっていくという仕組みです。
谷口 理屈では理解できても、安定して再現できる構造を作るのは至難の業で、何度もやり直しを繰り返しました。また、ろくろ部分の強度を上げるために部品を厚くすれば重くなり、軽量化するとすぐ壊れることも課題でした。
— CGでシミュレーションするという方法は考えなかったのでしょうか。
谷口 机上の計算ではたどり着けなかったと思います。トライ&エラーがこんなに多かった商品は覚えがないほどで、数ミリずらしたら動きが変わるのです。生地がどう動けば中に入るのか試して観察しましたが、一方がよくなると他方に不具合が出て、何本も試作しながら、やっとたどり着いたと言えばいいでしょうか。ワンアクションで閉じきることを妥協せずに進めていくのが最大の課題でした。根気の要るプロジェクトでした。
— 濡れた傘に触れずに畳める、これまでにない傘ですが、それによる新たな課題も生じたのではないかと推察します。
谷口 一気に畳めるがゆえに、傘に付いた雨粒を払うタイミングがなくなってしまうんです。そのため、途中で止まる乾燥用のストッパーを付けました。また、現在の製品は、畳んだ形状がややふんわりしています。もっと細くできますが、そうすると子どもや女性の力では、開閉しづらく感じてしまうかもしれない。どのあたりがスムーズに感じる最適値なのか、社内で一番握力が弱い社員に協力してもらい、開閉のテストを行いました。
バッグと傘のシナジー効果を
— 完成した時の社内の反応はいかがでしたか?
谷口 実は当初から、社内でも極秘のプロジェクトとして進めていました。私が傘をいじっているのは見ていても、生地を開発しているのだと思っていたようです。極秘裏に進めた理由は、この構造は特許性が高いと確信していたからです。ですから、ごく限られたメンバーで試作を重ね、最初の数年は「マーナで傘を開発している」ことすら、社内の大半には知られていませんでした。
— 「Shupatto」というのは、すぐに畳めることで大ヒットしたマーナのコンパクトバッグと同じ名です。なぜこの名称になったのでしょうか。
谷口 意見は二つに分かれていました。Shupattoのバッグと重ねることでシナジー効果があるという意見と、あちらはバッグ、こちらは傘、それぞれのブランドとして成長していくべきという意見です。バッグと傘、ともに世界中どこでも使われる商材としてどんどん広げていくことを考えています。その時にこのイノベーティブな傘と組み合わせることは効果的であるという判断で、この名称に決定しました。
— 世界への展開も期待できますね。ユーザーからも、濡れた傘に手を触れずに閉じられる快適さに対し、一度使ったら手放せないと好評のようです。
谷口 雨の日の不快感は、誰もがどうしようもないと諦めてきたことです。それに対する解決策としての共感度が高かったのだと思います。
— ここまで伺って、Shupatto アンブレラは単なる便利グッズではなく、「雨の日を少し楽しくする体験」を生み出しているように思います。
谷口 まさにそこを大事にしました。マーナのデザイン哲学は「暮らしに寄り添う」ことです。便利さの先に「気持ちいい瞬間」をどうつくれるか。Shupatto アンブレラも「閉じるときにストレスがない」だけでなく、「シュパッと閉じるのが気持ちいい」と思ってもらえることが一番の価値だと思っています。
— 発売後は、国内外から高い評価を得ています。
谷口 はい。2023年度のグッドデザイン・ベスト100に選ばれたのは大きな励みになりました。単なる形や意匠ではなく、「雨の日の社会的な課題に応えるデザイン」と評価されたことが嬉しかったですね。
失敗してもいいから形にする
— マーナの創業は1872年。今年で153年を数えます。生活雑貨のメーカーとしての経験知が、見過ごされがちな課題の解決へと導いているのでしょうか。
谷口 刷毛やブラシの製造から始まり、やがて暮らしを良くするためのキッチン用品やバス・洗面用品、掃除用具、バッグの開発など、領域を広げてきました。その変遷を見ていると、ジャンルが違うからやらないというような垣根はなく、いつも「挑戦すること」が根強く息づいている会社なのだと感じます。中小企業ならではかもしれませんが、DNAとして、挑戦と自由な風土があると言えるでしょう。
— 傘メーカーではないから、柔軟に発想でき、開発できたのかもしれません。
谷口 傘を専門的に取り扱っている方から、一気に畳める傘とペンサイズまで小さくなる傘を作るのが夢だったと聞いたことがあります。でも日常で傘を作っていたら、思いつけない発想というのはあるでしょう。
— 傘メーカーならば、やる前からゴムで引っ張るのは無理だと分かっているので、試すことはないでしょう。そこからのブレークスルーも生まれにくいと言えます。
谷口 失敗するのが見えていたら発想しないけれど、それをやってみないことには発展しない「種」みたいなものはあるものです。そういう意味では失敗するのは当たり前として開発しています。心のハードルは、低いかもしれない。とりあえず何でもいいから、やりたいことを形にしなさいと、デザイナーにも伝えています。
— そのような発想がなぜできるのか、谷口さんご自身の経験も影響しているのではないでしょうか。どのような経緯でマーナに入社されたのですか?
谷口 私は大学で工業デザインを学んだ後、ダイハツ工業で自動車開発に従事しました。量産設計の厳しさや、エンジニアと二人三脚で製品を仕上げる姿勢を学びました。その後、デザイン事務所を経てヤンマーに移り、BtoB製品を担当しました。実は、ユーザーの声が自分に直接返ってこないことに物足りなさを感じていたのです。インハウスでデザインを手掛けるならば、生活に近い商品をやってみたい、と思うようになっていました。そのときに出会ったのがマーナです。
正直に言うと、最初は「おさかなスポンジ」や「ブタの落としぶた」のようなユニークな商品を見て「変わった会社だな」と思っていました。でも同時に、グッドデザイン賞をはじめ、レッドドットやiFなど国際的なデザイン賞も数多く受賞していて、デザインに本気で取り組んでいることが伝わってきた。「ここなら生活に密着した商品を幅広くデザインできる」と確信して入社を決めました。私はデザインというカテゴリーであれば、学べば何でもできると考えています。
— なるほど、Shupatto アンブレラの挑戦的な姿勢は、谷口さんご自身の経歴ともつながっていますね。
谷口 そうかもしれません。自動車や産業機械のように「変化が少ない領域」で訓練を受けたからこそ、傘のように古くから形が定まっているものに挑んでみたいという気持ちが強かったのだと思います
— ありがとうございます。今回は「雨の日の不便を本気で変えたい」という谷口さんとマーナの信念が、製品を完成へと導いたストーリーを伺いました。後編では、Shupatto アンブレラを生んだ背景にある「マーナのデザイン思想」に迫りたいと思います。19年連続でグッドデザイン賞を受賞する企業文化と、その哲学がどのように商品づくりに息づいているのかを探っていきます。
グッドデザイン探訪では、あるテーマを切り口にインタビューや仕事紹介の記事をお届けしていきます。今回のテーマは「中小企業パラドックス」。市場競争ではなにかと不利とされがちな中小企業*ですが、自由に発想できたり、意志決定が早くなったりなど、メリットもあるはずです。パラドックスとして、中小企業だからこそ生まれたグッドデザインを掘り下げます。 *資本金3億円以下、従業員総数300人以下の企業
Shupatto アンブレラ
株式会社マーナ
当たり前に使っている傘を見つめ直し、徹底的に使い勝手にこだわり、ただグリップを押し上げていくと傘が開き、引き戻すとスルスルと生地を巻き込みながら畳まれる、完全にシームレスに開閉する長傘を完成させた。現状の傘の延長線上に新しい価値を付加できたことが評価された。
- 受賞詳細
- 2023年度グッドデザイン賞 https://www.g-mark.org/gallery/winners/15258
- プロデューサー
- 株式会社マーナ 開発部
- ディレクター
- 株式会社マーナ 開発部
- デザイナー
- 株式会社マーナ 開発部
石黒知子
エディター、ライター
『AXIS』編集部を経て、フリーランスとして活動。デザイン、生活文化を中心に執筆、編集、企画を行う。主な書籍編集にLIXIL BOOKLETシリーズ(LIXIL出版)、雑誌編集に『おいしさの科学』(NTS出版)などがある。
川村恵理
写真家
美術系専門学校を卒業後、スタジオ勤務や写真家助手を経て2017年に写真家として独立。以後、コミッションワークを主軸としつつ、作品制作にも重きを置いた活動を展開している。
関連記事

ネコたちがデザイナー。私は伝える役目です。(後編)
太野由佳子さんは、ネコ好きが高じてクロス・クローバー・ジャパンを起業しました。前編では、ネコの気持ちになり人間の都合を優先しない商品開発について伺いました。近年、ネコの平均寿命は飛躍的に伸びていますが、反面、新たな課題も生じています。後編では、ネコを起点に広がっていく世界について語っていただきます。

ネコたちがデザイナー。私は伝える役目です。(前編)
ネコと人間の関係は古く、古代、農耕を始めて増えたネズミを狙いに、人里にネコがすみ着いたのが始まりとされます。近年、ネコの平均寿命は飛躍的に伸びていますが、反面、新たな課題も生じています。太野由佳子さんは、ネコ好きが高じてクロス・クローバー・ジャパンを起業し、ネコ目線の商品開発を行っています。ネコ目線とはどんな目線!? ネコを起点にした社会づくりまで視野に入れたその活動について語っていただきました。

アプリが建築業界の働き方を変える
インテリア・建築業界における働き方を一変させているアプリがあります。壁紙を撮影するだけでそのメーカーと品番を識別できる「かべぴた」です。これまでマンションや建売住宅などに施工された建材は、再び調達しようとしても、仕様書が手元にないとメーカーや品番は特定できず、現場に大量のカタログを持参して照合する地道な人力作業を強いられていました。この長年の課題をDXで解決したのが、インテリア事業を営むコマツ株式会社の小松智さんです。同志社大学の奥田正浩教授の協力のもと「自動テクスチャ識別プログラム」を開発し「かべぴた」アプリをローンチ、2024年度グッドデザイン賞に選出されています。画期的なアプリに秘められた開発プロセス、そして産学連携の成功ポイントを語っていただきました。

デジファブで建築世界を変革する(後編)
デジタル技術を駆使し創造物を制作するデジタルファブリケーション。建築集団VUILD(ヴィルド)は、デジファブで精緻に木材をカットしプラモデルを組み立てるようにつくりあげた「まれびとの家」で、2020年度グッドデザイン金賞に選ばれました。創業者の秋吉浩気さんは「建築の民主化」を実践し、誰もがつくり手になれる社会の実現に向けて大胆な実践を続けています。それは社会を変えていこうとするイノベーションでもあります。