「よいデザイン」がつくられた 現場へ
よいデザイン、優れたデザイン、 未来を拓くデザイン 人々のこころを動かしたアイデアも、 社会を導いたアクションも、 その始まりはいつも小さい
よいデザインが生まれた現場から、 次のデザインへのヒントを探るインタビュー

今回のお訪ね先
佐賀県 農林水産部 農業経営課/佐賀県 政策部 さが政策推進チームさがデザイン/ブンボ/デジマグラフ/いとう養鶏場「PICNIC」
農のヒーローをデザインする (後編)
2025.12.19
農業にデザインを導入し、生産者自身のブランドづくりを支援する、「さがアグリヒーローズ」。その独創的な取り組みから、2022年度グッドデザイン・ベスト100を受賞しました。前編では、佐賀県が行政にデザインを組み込み、4年間という長期伴走型で農家のブランドづくりを支援する仕組みを紹介しました。後編では、現在進行中の二期(2023〜2026年)が直面している課題、一期との違い、そしてデザインが人と地域をどう変えているかに迫ります。
二期はどのような農家が集まったのか


─ 現在、「さがアグリヒーローズ」は二期が進行しています。どのような農家が集まったのでしょうか。
江副直樹(ブンボ代表取締役) 一期の取り組みを見て「自分も挑戦したい」と思われた方が増えたこともあり、応募段階から意識の高い農家さんが多かった印象があります。
そのため、すでに商品を持っていたり、観光農園を運営されていたりと、自力で事業を広げている方が中心になりました。

江副 ゼロからスタートした一期と違い、二期では「すでにある形をどう整理するか」が大きなテーマになります。魅力的な取り組みがすでに存在する一方で、どこを変え、何を残すべきかの判断は容易ではありません。今はまさに、「動いているものを整える」段階に入っていると感じています。
牛島裕美(佐賀県農林水産部農業経営課 農村ビジネス担当係長) 二期の農家さんは、直売所や加工品、観光農園、SNSなど、独自の活動をすでに展開されています。点で見ると魅力的な要素が多いのですが、その分だけブランドが複雑化しやすい。まずは現状を棚卸しし、「どこに軸を置くのか」を整理するところから始まります。
ともすると提案に対して「否定された」と受け止められることもあり、丁寧な対話がいっそう重要になっています。

─ 二期はSNSでの発信など、情報発信が活発な印象もあります。その点はどのように影響していますか。
牛島 自分で発信し、試行錯誤しながら前に進んでいるからこそ、迷いも大きいんです。「もっとよくしたい」という前向きな気持ちと、「今のお客さまが離れないか」という不安が常に同居しています。
だからこそ、「何を核に置くか」を一緒に言語化し、優先順位を整理する作業が必要になります。二期では、まずこの「軸づくり」から始めるケースが非常に多いです。
決めきれない時間をどう乗り超えるか
─ デザイン提案が出ても、農家さんが決めきれない場面があると伺いました。
羽山潤一(デジマグラフ代表取締役) 複数案をお見せすると、「どれも良いけれど決められない」という状況が生まれます。特に二期は既存ロゴや商品、SNSフォロワーといった「積み上げ」がすでに存在するため、判断が揺れやすいのだと思います。
江副 人はどうしても「見慣れたもの」を選びたくなるものです。しかし未来をつくるのは「ほんの少しの違和感がある案」です。だからこそ「最終判断はデザイナーが一番よいと思う案にしましょう」と明確に提案します。迷って止まるより、前に進めることが大事なんです。

伊東大貴(いとう養鶏場〈PICNIC〉) 僕自身、見慣れたほうに戻りがちでした。最近は「羽山さんならどれにしますか?」と尋ねて決めています。お客さまの反応や市場感覚を一番理解しているのはプロのデザイナーなので、任せることで腹落ちして進められるようになりました。
信頼をつくる時間
─ 外部のデザイン会社から声をかけられ、農家が揺れたケースもあったと聞きました。
江副 ありました。プレゼン内容が魅力的だったのか、ある農家さんは「こちらの会社がいいかも」と心が揺れました。ただ、実際に持ち込まれた案は、デザイナーが想定していた水準には届いておらず、行き違いが生じてしまいました。
その後、農家さんのお父さまが飲み会の場を設けてくださり、腹を割って話す中で誤解が解けました。むしろこの経験を通じて、信頼がいっそう深まったほどです。

江副 デザインは関係性の上に成り立つ仕事です。長期伴走だからこそ、こうした揺らぎも一緒に乗り越えられます。

「途中」だからこそ変化が見える
─ 二期はまだ道半ばです。現時点で見えてきたものはありますか。
佐﨑智華(佐賀県 政策部さがデザイン担当主査) 二期はまだ完成形が見えていない段階ですが、その「迷いの時間」こそ、ブランドが育つために必要なプロセスだと感じています。
江副 一期は最終年に形が見えてきましたが、二期はいままさに「育っている途中」。揺れたり悩んだりする過程こそデザインが効いている証で、そのプロセス自体が価値になると考えています。
牛島 二期の進行とともに、佐賀全体の農業への関心や期待も高まっています。すでに三期を希望する農家さんもおられ、継続が地域を育てていると実感しています。
─ こうして話を聞くと、「育っている途中」であること自体が価値になっているのだと感じます。
江副 最終的なゴールは、「農家さんが経営者としての視点を持てるようになること」です。デザインはそのための手段にすぎません。
牛島 4年間という時間があることで信頼が育ち、挑戦が生まれます。行政としても、最後までともに寄り添い、地域の未来につながるブランドづくりを支えていきたいです。
佐賀の「イベント文化」が後押しする
─ 10月18日に地域農業の魅力を体感できるイベント「さがアグリヒーローズ 2+1/2025」が開催されましたが、どんなイベントだったのでしょうか。
牛島 今回のイベントでは、二期5名と一期2名が参加し、それぞれがブースを設けて商品を販売しました。購入者には抽選会も行い、景品にはさがアグリヒーローズの商品を用意しました。これまでの歩みを紹介するパネル展示も行い、来場者の方に活動の背景や農家さんの取り組みを知っていただく機会になったと思います。
当日は「佐賀さいこうフェス」(10周年)と同時開催だったこともあり、午前中は天候がすぐれませんでしたが、午後からは多くの来場がありました。農家さんが直接販売を行い、自らの言葉で取り組みを説明することで、農業の魅力をより身近に感じていただけたのではないでしょうか。事前のテレビ告知を見て来場された方もおり、さがアグリヒーローズを初めて知ったという声も聞かれました。今回の商品との出会いが、今後の購入につながればと期待しています。


江副 僕はプロデューサーという立場上、個々の農家さんと同じように、さがアグリヒーローズというプロジェクトそのもののブランド力も高めていきたいと考えています。
今回のイベントでも、一期と二期の農家さんが同じ会場で出展し、全体として統一感のある演出を心がけました。こうしたイメージの積み重ねが、プロジェクトの認知を広げ、ブランドとして育っていくことにつながります。結果として、それぞれの農家さんの経営にも好影響をもたらすはずです。
地域とデザインの関係が変わり始めている
─ アグリヒーローズを通して、地域や行政にどのような変化が生まれているのでしょうか。
古賀一生(佐賀県 政策部さがデザイン担当主任主査) 本質を見極めて課題を解決していく「デザインの視点」が農林水産部にも少しずつ浸透していると感じます。

牛島 農業経営課としても、アグリヒーローズを通して「見せ方」や「語り方」の重要性を理解しました。
以前は補助金事業として「期日までに成果を」と急がせる場面も多かったのですが、いまは農家さんと一緒に試行錯誤しながら育てる姿勢に変わってきています。行政職員の意識変化そのものが、この事業の大きな成果でもあります。
「語る農家」が増えてきた
─ 農家さん自身の意識には、どんな変化が起きているのでしょうか。
江副 一期の農家さんたちは、事業を通して「作るだけでなく、語ること」も仕事の一部だと実感していきました。その姿が周囲の農家にも確実に影響していて、「うちも挑戦してみたい」という声が、この数年で本当に増えました。
かつては「デザインは特別なもの」と捉えられがちでしたが、いまでは「農業を続けるための選択肢のひとつ」として自然に受け止められるようになっています。デザインが「特別な手法」ではなく、「身近な実践」として根づいてきたことは、地域にとって大きな変化です。
牛島 SNSを通じて日々の作業や思いを発信する農家さんが増え、「人を応援する関係性」が広がっています。ブランドそのものではなく「作り手」を応援する動きが生まれ、地域に新しいつながりが育っていると感じます。

伊東 「PICNICのたまごサンドですよね」と声をかけていただく機会が増えました。地域の方の反応を直接いただけると、次の一歩を踏み出す力になります。 デザインは、売れるかどうか以前に「人とのつながりを生む力」があると実感しています。
デザインが育てる農業の未来
─ 最後に、アグリヒーローズが描く「農業の未来」についてお聞かせください。
江副 これからの農業は、「作れば売れる」時代ではありません。作り手の姿勢や考え方、地域との関係性そのものが価値になります。そのときデザインは、「形を整える技術」というより「考え方を伴走しながら育てるプロセス」になります。
アグリヒーローズで育っているのは、ロゴや商品だけではありません。「なぜ作るのか」「誰に届けたいのか」「自分はどうありたいのか」という問いに向き合い、語れる生産者が確実に増えています。その変化こそ、これからの農業の担い手に求められる姿だと思います。

牛島 農業経営課としては、「農家さんが経営者として育つ仕組み」をつくりたいと考えています。ブランドの軸が定まり、商品の魅力が整理されると、「続ける力」が生まれます。
行政がデザイン思考を取り入れることで、「農家とともに考える関係」が地域に根づき始めています。
佐﨑 これからの農業には、ストーリーを語り、共感を呼び、ファンを育てる力が欠かせません。二期では、その「語る力」が確実に育っています。地域の人々が農家さんを応援の対象として見始めていることも、大きな変化です。
古賀 アグリヒーローズは、農業だけのプロジェクトではありません。行政と民間が対等に学び合う文化を育て、地域にデザインが浸透するモデルにもなっています。この仕組みは、農業に限らず、地域づくり全体に広がっていく可能性を持っています。
江副 農業は、人が暮らす地域そのものです。そこにデザインが入り、「人が変わり、関係が育ち、仕組みが次の世代に渡っていく」。アグリヒーローズの未来は、単にブランドをつくることではなく、「地域を育てるデザイン」そのものだと考えています。
─ ありがとうございます。デザインが行政に根づき、農家が語り、地域が応援しはじめる──。その変化の中心にアグリヒーローズがありました。4年間の伴走の先に、佐賀がどんな新しい価値を見せてくれるのか。これからも、その歩みを見届けていきたいと思います。
グッドデザイン探訪では、あるテーマを切り口にインタビューや仕事紹介の記事をお届けしていきます。今回のテーマは「クリエイション・ウェーブ」。グッドデザインを紐解くと、一つの「Good」な視点や行動から、次の「Good」へとつながり、波のように連なって具現化していく様子がわかります。新しい発想のモノ・コトが、つながり、できあがっていくまでのストーリーを取材します。
さがアグリヒーローズ
佐賀県農林水産部
佐賀県による農業の6次産業化支援における新事業。公募で選んだ5組の農家(ナカシマファーム/嬉野市、トミービーフ/白石町、いとう養鶏場/武雄市、大川三世代/伊万里市、平田花園/唐津市)を選定、綿密なヒアリングを実施した後、プロデューサーを中心にそれぞれに主軸となるデザイナーを選考した。商品開発から広報計画、空間構成までサポート。実施期間は4年。事業目標は、各農家の販売額が開始時から1000万円増で、3年目には全農家が達成。2期も実施されることとなった。
- 受賞詳細
- 2022年度 グッドデザイン・ベスト100 https://www.g-mark.org/gallery/winners/11070
- プロデューサー
- 江副直樹
- ディレクター
- 江副直樹/伴俊満/世戸誠典/吉本愛/浦郷慧人/松本祥子など(当時)
- デザイナー
- 岩下建作/西村里美/門司祥/小柳洋介/小林一毅/二俣公一/原田教正/藤本幸一郎/デジマグラフ/広沢京子/前崎成一/先崎哲進/山田萌生/阿比留浩太など(当時)
石黒知子
エディター、ライター
『AXIS』編集部を経て、フリーランスとして活動。デザイン、生活文化を中心に執筆、編集、企画を行う。主な書籍編集にLIXIL BOOKLETシリーズ(LIXIL出版)、雑誌編集に『おいしさの科学』(NTS出版)などがある。
NANA
写真家
小学生の頃からフィルム写真に親しむ。2018年より写真家として活動開始。人物、商品、建築、料理など幅広い分野で撮影を行うほか、アートディレクター、映像クリエイターとしても活動。
関連記事

農のヒーローをデザインする (前編)
農業にデザインを導入し、生産者自身のブランドづくりを支援する――。そんな独創的な取り組みから、地域の新しい価値を生み出しているのが佐賀県の「さがアグリヒーローズ」です。単年度の補助事業が主流のなかで、あえて4年間の長期伴走を掲げ、農家とデザイナーがともに構想し、商品を育てていくという仕組みを採用。1次産業とデザインの協働によって誕生した数々のブランドが注目を集め、2022年度グッドデザイン・ベスト100を受賞しました。本稿では、事業の立ち上げから第一期の成果までを、佐賀県農業経営課の牛島裕美さん、佐賀県さがデザインの古賀一生さん・佐﨑智華さん、プロデューサーの江副直樹さん、デジマグラフの羽山潤一さん、そしていとう養鶏場「PICNIC」の伊東大貴さんに伺います。

暮らしを変える傘のイノベーション (後編)
暮らしの「ちょっと不便」を見逃さず、独自の発想で解決する――。そんな姿勢から数々のヒット商品を生み出してきた株式会社マーナ。2023年度グッドデザイン・ベスト100に選出された「Shupatto(シュパット)アンブレラ」は、傘の構造そのものに革新をもたらした画期的なプロダクトです。前編では「手を濡らさずにたたむ」という発想から生まれたこの傘の開発秘話を伺いました。後編では、商品開発の背景にある「マーナのデザイン思想」を解き明かします。

暮らしを変える傘のイノベーション (前編)
暮らしの「ちょっと不便」を見逃さず、独自の発想で解決する――。そんな姿勢から数々のヒット商品を生み出してきた株式会社マーナ。なかでも「Shupatto(シュパット)アンブレラ」は、傘の構造そのものに革新をもたらした画期的なプロダクトです。折り畳み傘や意匠性の競争が主流のなか、「手を濡らさずにたたむ」という発想から生まれたこの傘は、閉じると同時に一気に生地がまとまるという新しい体験を提案します。そして2023年度グッドデザイン・ベスト100に選出。同製品の開発をリードした谷口諒太さんに、着想の瞬間から5年に及ぶ開発過程と製品化に至るまでの試行錯誤を伺いました。

ネコたちがデザイナー。私は伝える役目です。(後編)
太野由佳子さんは、ネコ好きが高じてクロス・クローバー・ジャパンを起業しました。前編では、ネコの気持ちになり人間の都合を優先しない商品開発について伺いました。近年、ネコの平均寿命は飛躍的に伸びていますが、反面、新たな課題も生じています。後編では、ネコを起点に広がっていく世界について語っていただきます。